ユーザー (#1)2010年4月アーカイブ

■皆さん、こんにちは。

 今日は「心の強い人」についてお話しします。

■世の中順風満帆の人ばかりではありません。

 人知れず、心の悩みを抱えて苦しんでいる人がいます。

 一方で、人の悩みを聞いてそれを解決してやろうと一生懸命な

 人もいます。 

 では、「心の強い人」と「心の弱い人」どこが違うのでしょうか。

 私は、人生経験から、「心の弱い人」はいつも相手との関係の中
 
 だけで生きている人だと思います。
 
 「ドロシー・ロー・ノルト」の著書「心に橋を架ける言葉(扶桑
  社)」によれば
 
 「心の弱い人」が喜びを感じられるのは

 1.自分が相手に理解されていると感じられるとき

 2.自分が中心になっている。あるいは、自分の領域が確保されて
  いると感じるとき

 3.思わず何をしていると表現される忘我の雰囲気

 4.自分が役に立っていると感じられるとき

 5.他人より優位にあると感じられるとき

 だそうです。

■つまり、自分が中心のときに喜びを感じるということです。

 他人に大切に扱われるとき、他人に感謝されるとき、他人に誉めら
 
 れるとき、他人に自分の苦しみや、つらさの大変さを理解されると
 
 き、

 「心の弱い人」は、そのようなときにしか喜びを感じることができ
 ません。

■これは、子供と全く同じだと、その著者は述べています。

 子供と話すときに、大人しか分からない話をすると、子供は満足し

 ません。

 子供中心に据えてやることで子供は満足します。

 これは自分の満足が、他人が自分をどう取り扱うかにかかってい
 るということです。

■また「心の弱い人」には、自分のほうから他人を大切に扱う。

 自分のほうから他人の苦しみやつらさを理解するという姿勢はあ
 
 りません。

 いつも、自分を分かってくれないと悩んでいます。

 他人の苦しみやつらさを理解するという姿勢がないのに、自分の

 ことは分かってほしいと悩みます。

 冷静に考えれば、こんな都合のいいことはありません。


■一方、「心の強い人」はどうでしょうか。
 
 私が知る限り、「心の強い人」は他人の自分に対する行動に無関
 心です。

 「自分は自分、他人は他人」という割り切りがあります。

 ですから、他人が自分をどう思おうが、他人が自分を理解できな
 かろうが、全く気になりません。

 所詮、他人には自分のことは分からないという真理を知っている

 からです。

■しかし、「心の強い人」は、利己主義ではありません。

 他人に何も期待はしませんが、他人の言うことはよく聞く耳を持
 っています。

 「心の強い人」は決して「自分の言うことを聞いてくれ」とは言
 いません。

 その代わり、他人の言うことは、じっくりと、口を挿まずに最後
 まで聞いてくれます。

 それは、相手との関係の中で話をしているからです。しっかりと

 自己が確立しているからです。

■ところが、心の弱い人」は自分が勝手に相手との関係を決めてい
 ます。

 お互いに納得した関係がないのに、勝手に自分が相手との関係を
 決めています。

 そこに悩みが出てくるのです。

 相手との関係は自分一人では決められません。

■きつい言い方かもわかりませんが、「悩んでいる人」は皆、自分
 
 のつらさを訴えるだけで、悩みを解決しようとしてはいないとい
 
 うことを認める必要があります。

 そこで、初めて悩みの解決への糸口が見つかります。


■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

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【 悩みは他人の悩みを聞くことによって解決に向かう 】
────────────────────────────────

■悩んでいるときには、「どうして自分の悩みが分かってくれない
 
 のか」と自己中心的になります。

 そんなとき、「果たして自分は他人の悩みを解決してあげたこと
 があるだろうか」と考えてみて下さい。

 そして、もし、他人の悩みを聞いてあげたことすらないのであれ
 ば

 先ず、他人の悩みを聞いてあげることです。

 そのことがきっかけで、間違いなく自分の悩みも解決します。

 他人の悩みを聞くことによって、あなたは初めて他人との関係を

 自覚できるからです。

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