■皆さん、こんにちは。
いつもお読みいただきありがとうございます。
今日は「何故、人の人生に差があるのか」についてお話しします。
以前に、偉いお坊さんから
「人生は自分を磨く修行の場である」
「だから辛いことにも耐えなさい」
と言われたことがあります。
私は、そうかも知れないが、
では、何故、幸せに暮らせる人と、
いつも不幸が続く人と、
人生に大きな差があるのか?
修行なら、皆同じような人生でいいのではないか?
ずっと疑問に思っていました。
■その答えが、数年前に見つかりました。
宗教的な話ではありません。あくまでも考え方の話です。
「人生は、生まれてくる前に自分が設計したとおりに進んでいる」
「だから、何も心配することはない」
という考え方です。
■【人は何のために生まれてくるのか】
大きな課題ですが、この答えが
【心を磨き、生まれてきた時よりも、成長すること】
であるとすれば、皆さんも素直に受け入れることができると思い
ます。
■では、仮に生まれてくる前に自分で人生を設計したとして、どう
して辛いことが多く起こるように人生を設計する人がいるのでし
ょうか?
私のような凡人は、
「苦労がなく楽しい人生がいいに決まっている」
と考えます。
こう考えるので、最初に書いたように何故人によって人生に幸、
不幸の差があるのかという疑問が出てくるのです。
【辛いことが多く起こる人生】
これには大きな意味があったのです。
■実は人間的にかなり成長した人ほど、もっと自分を高めるために
【辛いことが多く起こる人生を自ら設計して生まれてくる】
というのです。
なるほど、それなら人によって人生に大きな差があっても、納得
ができます。
そして、辛いことが多く起こる人ほど、心を成長させたいという
志の高い人だということになります。
■さて、
□□□ 今日の「ちょっと一言」です。 □□□
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【 人生の出来事は自分が設計したとおりにやってくる 】
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■私が以前読んだ
飯田史彦著「生きがいの本質(PHP研究所)」にこんなことが書
かれています。
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人間は窮地に立たされると、必死の思いでそこから抜け出そうと
する。その時、人間の心は、必死になればなるだけ柔軟性を失っ
ていく。健康であれば、違った視点で物事を眺める余裕があるの
に、病気になると、途端にそれができなくなる。
(中略)
患者さんの抱えている問題の受け止め方に変化が起これば、これ
まで問題にとらわれてきた「しばり」とでも言えるものが外れる。
(中略)
ぼくはいつも患者さんからのある言葉を待っている。
それが「あっそうか」と「まあ、いいか」である。
(中略)
今、自分が病気であることさえも、人生全体の「学び」の計画の
中で見ると、実は「順調」なのではないか・・・自分は、決して
被害者ではなく、損をしているわけでもなく、失敗や挫折をして
いるわけでもなく、かわいそうな状況でもなく、実は病気を通じ
て、むしろ病気になったからこそ得ることのできる、さまざまな
価値のあるものを学んでいるのではないか・・・
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■上のお話によると、患者さんがこう気付いたときに
「あっそうか」と「まあ、いいか」
という言葉がでるそうです。
皆さんも辛いことが起こったとき、
「自分が決めたことだ。何も心配することはない」
そう考えると、少しは気持ちが楽になるのではないでしょうか。
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