■皆さん、こんにちは。
今日は「幸せはどこにあるか」についてお話しします。
■皆さんは、幸とはどこにあって、どういうものだと思われてい
ますか。
もちろん、人の幸福が自分の幸福ではありません。
ところが、これを比べてしまう。隣の柿は赤いと思ってしまう。
ここに悲劇が生まれます。
■一旦物事を他人と比べ始めると、きりがありません。
隣はクラウンを買った。
それに比べてうちは軽自動車だ。不幸だと思う。
そして、クラウンを買う。
■やがて隣は、ベンツのAMGを買う。
それに比べてうちはクラウンだ。
ベンツに乗れないのは不幸だと思う。
そんなことが延々と繰り返されます。
幸福は、決して他人との比較の中には見つけられないものです。
幸福は自分のこころの中にしかありません。
■病気でベッドから起き上がることもできずに、何ヶ月も入院し
ていたあなたに、やっと退院の日が来ました。
病院の扉を開けたあなたは、外の空気を吸って
「ああ、空気が美味しい。なんて幸せなんだ」
と思うでしょう。
決して、隣のベンツのことなど考えないはずです。
人は考え方次第でいくらでも幸福を見つけることができます。
幸福は自分のこころのなかにあるのです。
■自分にない物を欲しがるよりも、自分に今あるものに幸福を
感じることができれば最高です。
今自分にあるもののありがたみは、、それがある時には分かりま
せん。
私は昔からよく、もしこれがなかったらどうなるかを考えるくせ
がありました。
もし、水がなかったら、もし、家族がなかったら、もし健康でな
かったら。
そう思うと、退院時のあの幸福感を思い出します。そして自分は
幸福だと感じることができます。
さて、
□□□ 今日の「ちょっと一言」です。 □□□
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【 幸福は他人との比較ではなく、自分のこころの中にある 】
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■芥川龍之介の代表作である「芋粥」にこんな話が書かれています。
背が低く顔立ちも良くなく、いつも風采のあがらない主人公の唯
一の願いは、身分の高い貴族のように腹一杯飽きるほど芋粥を食
べてみたいということでした。
その主人公が京都から長い道のりを経て敦賀に着き、やっと芋粥
にありつけるときがきました。
ところが、その主人公は、料理場で大勢の人が大釜で、とても食
べきれないほど大量の芋を煮、芋のにおいを含んだ湯気柱がもく
もくと空へ舞い上がっていくのを見ました。
その後、主人公は運ばれてきたありあまるほどの芋粥を目の前に
しながら、一口も食べることができませんでした。
既に食べるのが苦痛になっていたからです。
主人公はそのときになって、芋粥をいっぱい食べられる境遇より
も
「いつか芋粥を腹一杯食べたいな」
と思っていたころの方が、幸せだったと分かるのです。
■幸福は自分のこころの中にあります。
他人の幸福と比べることでは、決して幸福になれません。
幸福とはそんなにたいそうなことではないのです。
こころの持ち方、ものの見方によっては、他人から見た状況は同
じでも、自分は幸福だと感じることができるのです。
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