■皆さん、こんにちは。
今日は、"人の本当の偉さ、値打ちはいつ分かるか "についてお
話しします。
■人の本当の偉さはいつ分かるのでしょうか。
私は、その人が現役を退いた後、そして死んだ後に分かるものだと
思っています。
■例えば、ある会社に「自分のことしか考えていない」と評判の重役
さんがいたとします。
そんな重役さんでも、その重役さんの親族が亡くなられたときには、
きっと多くの人がお葬式に参列されると思います。
なぜなら、その時点では、その重役さんは他人に影響力を持ってい
るからです。
■その重役さんを本当は
「自分の出世ばかりを考えているいやなやつだ」
と思っている人もお葬式に出席します。
「あのとき顔を見なかったなあ」
なんて言われると、大変なことになるという損得勘定が働くからで
す。
また、
「あのときは、来てくれてありがとう。仕事をやるよ」
という見返りを期待しているからです。
■でも、その重役さんが現役を退いた後はどうでしょうか。
きっと、周りに人は集まらないと思います。
「あのとき顔を見なかったなあ」
と言われても一向に困らないからです。
仕事をもらえる見返りも期待できないからです。
■こう考えると、何のしがらみもない状態でしか、その人の人間的な
偉さは分からないことになります。
そのことが分かっているから、影響力のある今の地位に固執する。
そんな重役さんもいるのではないでしょうか。
あの豊臣秀吉でさえも、最後は地位と権力に固執して醜い人生を
送っています。
さて、
□□□ 今日の「ちょっと一言」です。 □□□
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【 死んだ後でしか本当の人の偉さや値打ちは分からない 】
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■「ユダヤ5000年の知恵(ラビ・M・トケイヤー著)講談社文
庫」に、こんな言葉があります。
▽
病人を見舞うと、その病人は60分の1だけ病状がよくなる。だ
が、60人が一度に行っても病人は全快しない。
死んだ人の墓を訪れるのが、いちばん高尚な行為である。
病気の見舞いは、治ればその人の感謝を受けられるが、死んだ人
は別に何もお礼を言わない。
感謝をあてにしない行為こそ美しいのである。
△
■なるほど、死んだ人の墓を訪れる人には見返りを期待する人はい
ません。
逆に言えば、見返りが無くても訪れてもらうことができる。そう
いうことが人の偉さ、値打ちだということになります。
「死んだ後でしか本当の人の偉さや値打ちは分からない」
こう考えれば、人の生き方も変ってくると思います。
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