今日は「教育とお金」についてお話しします。
■ 【 三尺下がって師の影を踏まず 】
昔はこの言葉に代表されるように、先生は尊敬の対象でした。
ところが最近は、先生がお金をもらって教育をしている職業の
一つとして見られているように感じます。
(もちろん生きていくためには、お金も必要ですから、ボランテ
ィアでは成りたたず、職業にはなるのですが)
私の幼稚園時代からの友人に小学校の先生が二人います。
昨年同窓会で会ったときに、偶然にもこの二人が同じことを言
っていたのが、とても印象的でした。
彼らは私にこう言いました。
「俺は、出世や金儲けに興味はないんや」
「出世や金儲けがしたいんやったら、教師になってないわな」
「ただ、子供が好きで、子供の力になりたいだけや」
と。
■今でも、学校の先生になる人にはこのような考えの持ち主が多
いと思います。
ところが、最近は世間の親たちが自分たちの社会感覚で先生を
見るようになってきました。
【 税金で雇っているのだから、雇い主のいうことを聞けと 】
ある私立の学校でこんなことがありました。
担任の先生が一人の生徒が騒いでいるので注意しました。
「静かにしなさい。勉強をしにきているんでしょう」
するとその生徒が答えました。
「先生、先生にはぼくらがお金を払っているんやで。勉強する
かせえへんかは、ぼくの自由や」
「お母さんもそう言うとったわ。先生にしかられたらそう言え
と」
この生徒は、まだ小学5年生でした。
担任は、その生徒に言いました。
「そうか。確かに勉強せえへんのは君の自由やな」
「でも、他の人の勉強する邪魔をする権利は君にはないで」
「外に出ていなさい」
翌日、かんかんに怒った母親が学校にやってきました。
そして、校長と昨日の担任の先生が呼び出されました。
「お金を払っているのに外に立たせて勉強させないとはどうい
うことですか。それに勉強するかしないかはうちの子の自由
ですから、強制しないで下さい」
「おたく、教え方が悪いんじゃないですか。私がいればいつも
おとなしく勉強する子なんですよ」
その言葉を聞いて、校長がすぐに笑顔で答えました。
「そうですか、お母さん。ご希望がよく分かりました。では、
お母さんのご希望どおりに、お子様を教育しましょう」
「お母さんの保護がなければ生きていけない、そして社会に
出たらまったく役に立たないように教育すればいいんです
ね」
■さて、
□□□ 今日の「ちょっと一言」です。 □□□
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【 お金を払えば何を要求してもいいか? 】
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■教育は親のオーダーメイドでするものではありません。
そして子どもを親のロボットにするものでもありません。
その道のプロである先生が、その子どもに一番いいと思う教育を
するものです。
■本田宗一郎さんが、著書のなかで
「お金を一銭でももらえば、もらった者の負けだ」
と言っておられます。
これは、企業や商売では肝に命じなければならないことです。
ただ、人の教育については、少し違うような気がします。
人の教育は社会のために必ず必要なことであって、それを教育を
志す先生にお願いした、ということでしょうか。
もちろん、先生にその志のあることが前提です。
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