「ちょっと一言」こころの栄養 バックナンバーの最近のブログ記事

今回は私が、小学生のころのお話です。
 私には、77才になるおじいさんがいました。

■あるとき、私は学校の宿題であった絵を縁側で描いていました。
 1時間くらい描いたあと、まだ完成していなかったのですが、
 そこで一旦止めました。

■提出日が2日後だったからです。

■縁側から、居間に入ってきた私を見て、おじいさんがいいました。
 「もう描きおわったんか。」

■私は
 「いや、まだやけど、明日もあるし。」
 と答えました。

■すると、おじいさんは
 「今から、何かすることがあるんか。」
 と聞いてくるのです。

■私が
 「いや、べつに。」
 と答えると

■おじいさんは
 「それやったら、今日やっとき。」
 「明日は明日でやることがあるやろ。」
 と続きをやるように言いました。


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  【 今日できることは今日やってしまう   】
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■もう、77才になっていたおじいさんの言葉です。

■自分に残された時間は残り少ないと感じていたのでしょう。

■時間は無限にあるのではなく、有限である。

■だから、今日できることは今日やってしまう。

■明日は、また明日でやるべきことがたくさんある。

■そう言いたかったのだと思います。

 

 

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皆さんは、「パラダイム」という言葉を知っておられますか。

 「物の見方や考え方」という意味でしょうか。

  今から私がパラダイム転換をした瞬間のお話をします。

 ご存知のように私は、高校時代にアメリカンフットボールをやっ

 ていました。

 最初は作って間もない同好会であったために、まだキャプテンが

 きまっておらず、顧問の先生が指導をしていました。

 その先生は日本体育大学出だけあって厳しい練習を部員に課しま

 した。

 練習中、いつも先生は怒鳴っていました。

 「声が小さい。もっと声を出せ」

 「手を抜くな。倒れるまで走れ」

■私たちは、毎日練習が終わると、へとへとになってグランドに倒

 れこんでいました。

 練習が終わったときだけ、やっと終わったと、うれしさで一杯だ

 ったことを覚えています。

 ただ、そのうれしさは、その日自宅に帰るまでのわずかな時間し

 か続きませんでした。

 自宅に帰ると、「また明日は練習がある」

 と思い始め、憂鬱な気分になります。

 「また辛い練習をやらされるのか、いややなあ」

 と。

■ところが、あることをきっかけに、全く気持ちが変りました。

 そう、私はキャプテンに選ばれてしまったのです。

 そして、顧問の先生は、いいました。

 「チームが強くなるかならんかは、全てキャプテンしだいや」

 「厳しい練習は、強くなるためにやっとるんや」

 「厳しい練習ができるかどうかは、キャプテンしだいや」

 「そやから、チームが強くなるかならんかは全てキャプテンしだ

  いや」

 その次の日、私は部員にどなっていました。

 「もっと、声を出せ」

 「怠けるな」

■キャプテンになったときから、考え方が一瞬にして変ってしまっ

 たのです。

 驚くほど、ほんの一瞬に。

 自分の考え方の基本が、

 「練習をやらされる」

 から

 「強くなるために練習をやる」

 に変ってしまったのです。

 それ以後、練習をいやだと思ったことは一度もありません。

 強くなるためにはどうすればいいか

 それだけを考えるようになりました。

 もちろん練習の厳しさは、全く変りません。

 これが、私の経験したパラダイムの転換です。


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【 原理原則に戻ることでパラダイムの転換が起こる 】
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■皆さんもよくご存知の1000万部を越える売り上げを記録した

 「7つの習慣(スティーブン・R・コヴィ著)キング・ベアー出版」
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 の中にこんな物語が紹介されています。

 
 訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のため数

 日間にわたり航海を続けていた。私は先頭を行く戦艦のブリッジ
 
 で夕暮れを迎えた。

 視界が悪く断片的に霧がかかっていたため、艦長もブリッジに残

 り、状況を見守っていた。

 暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告し

 た。

 「艦首の右舷側の進路に光が見えます」

 「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」

 と艦長。

 見張りの答えは

 「停止しています、艦長」

 つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険性があると

 いうことだった。

 艦長は信号手に命じた。

 「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険性があるため、二十度

 進路を変更せよ、と」

 相手からの信号が返ってきた。

 「そちらの方が二十度進路を変えるように助言する」

 船長は再び命令した。

 「信号を送れ。私は艦長だ。二十度進路を変えるように」

 すると
 
 「こちらは二等航海士だ。そちらの方こそ二十度進路を変えるよ

 うに命令する」

 と、返事が返ってきた。

 艦長は怒り出し

 「信号を送れ。こちらは戦艦だ。二十度進路を変えろ」

 と叫んだ。

 点滅する光の信号が返ってきた。

 「こちらは灯台である」

 我々は進路を変えた。

 
■これは、パラダイムの転換が起きる瞬間をみごとに表現していま

 す。

 原理原則を知ることによって、パラダイムの転換が起きるのです。

 なぜ、厳しい練習をするのか。それは、強くなるためです。

 当たり前のことですが、練習の厳しさだけに注意が向くと、原理

 原則を忘れてしまいます。

 皆さんも、原理原則に戻ることで、パラダイムの転換ができるか

 もしれませんね。

 
 もう少し知りたい方は


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 をお読み下さい。

 

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いつも、感情をむき出しにする男と、いつもは穏やかだけれども
 
 突然、怒りだす男。

 どちらも、いますよね。

 分かり易いのは、いつも感情をむき出しにする男。

 この男は、自分の普段の許容範囲が狭いのでしょう。

 一方、突然、人が変わったように怒りだす男。

 これは、とても分かりにくい。普段は許容範囲が広いので、少々

  のことでは怒らない。

 ところが、今までニコニコしていたのに、突然瞬間湯沸かし器の

 ように烈火のごとく怒りだす。

■実は、私は後者の方なのです。

 ですから、突然怒りだす男の気持ちがよく分かります。

 サラリーマン時代に、こんなことがありました。

 他の課と工事の打ち合わせをしていたときのことです。

 他の課と共同作業があったのですが、日程調整がうまくいきませ

 ん。

 「君の係は、次の火曜日、うちに立ち会ってくれるか。うちはそ

  の日以外だめなんや」
 
 他の課の人がいいました。

 「はい、その日は他の用件が入っていますが、事務所の係員で何

  とかしましょう。できるだけ協力しますよ」

 相手はすぐに自分の課に電話をしていました。

 「すまん。その日に別件が入っていた。次の木曜日にしてくれる」

 「え・・」
 
 私は、一瞬驚いたのですが、すぐに返事をしました。

 「そうですか。じゃあ、うちの計画を変更しますよ。事務所レベ

  ルで解決できますから」

 そうして、私は自分の係の計画を変更させました。

 その人はお礼も言わずに自分の課へ戻っていきました。

 その後一分も経たないうちに私に電話がかかってきました。

 「悪い。係に確認したら、どうしても休みたいやつがいて、その

  日人数が足りないんや」

 「金曜日にしてくれる」

 これを聞いた私は、電話に向かって怒鳴っていました。

 「おまえ、何をいっとるんじゃ。絶対に立会いはせん」


■電話の向こうでは、しばらく沈黙が続いていました。

 相手は、課長、私は係長でした。

 相手は、今まで喜んで、計画を変更してくれていた私が、何故突

 然怒り出したのか。

 理解できなかったようです。

 私にしてみれば、これは必然なのです。

 金曜日に立会いとなると、現場の計画まで変えなければなりませ

 ん。

 私は、事務所の計画は変えても、現場の計画を変えることまでは

 譲らないと決めていました。

 相手は、ズケズケとその境界を超えてしまったのです。

 ただ、それだけです。

 許容範囲の広い人ほど、その境界を超えてしまったときの、反応

 には激しいものがあります。


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【 人には、これは譲れないという境界がある 】
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■許容範囲の広い人は、いいよ、いいよ、とはいいますが、相手が

 これ以上は無理をいうのを止めておこうと、気付くことを期待し

 ています。

 そして、相手がそのことに全く気付かずに一線を超えてしまった

 とき、怒りが倍になって爆発します。

 後に下がっていればいるほど、最後の一線は死守するのです。

 
■私が、10年前に愛読していたとっておきの一冊。

 課長 島耕作で有名な漫画家の弘兼憲史さんが書いた

 「なぜ、この人はここ一番に強いのか」

 の中にこんなことが書いてあったのを思い出しました。


 たとえば、危ない男たちにからまれる。こんな時はどんどん逃げ

 ればいい。百回でも千回でも逃げればいい。

 だが、その時、一緒にいるのが大切な人だったら(家族とか恋人

 だ)、ここ一番、逃げないと前もって決めておくのだ。

 そして、自動機械のように愚直に前に出る。

 その結果痛い目に合うだろう。しかし、そのことでほんとうに大

 切な人を守るという自分の姿勢は貫ける。


 どうですか。
 
 この本は、弘兼さん自身の松下電器産業勤務の経験から書かれて

 いますので、とっても説得力があり、私のバイブルとなっていま

 す。

 読まれたことのない方は、是非読んでみて下さい。もう無いかも

 知れませんが。

 きっと元気をもらえます。


「なぜ、この人はここ一番に強いのか 講談社(弘兼憲史 著)」
 
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062565056/mag2com02f-22

 

 

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いつもは、まったく気にならないことが、あることをきっかけ

によく分かることがあります。

今回は、少し汚い話をします。

トイレの話です。

平成7年1月の阪神淡路大震災のときのことです。

私は、当時会社勤めをしていましたので、部下の安否を確認す

るために神戸の西部から徒歩で三宮に向かっていました。

もう、地震発生から3日経っていました。

■道路はアスファルトがひび割れて、その下から赤黒い土が見え

ていました。

道行く人々は、皆背中にリュックサックを背負って、何かにせ

かされるように早足で歩いています。

ちょうど昼ごろになって、三宮のフラワーロードにある公園に

着きました。

そこで、おにぎりを食べて、半時間程休憩をした後に、ついで

に用を足そうと、公衆トイレに入ったときのことです。

個室のドアを開けると、気分が悪くなるほどきつい悪臭が私の

鼻をつきました。

見ると、便器の中はもちろん、その周りにも、うんこが山盛り

になって積まれています。

高さが30cmは、あったでしょうか。

5つある個室の便器が全て山盛りでした。

■そのときになって、初めて気付きました。

水が無ければ、家でうんこもできない。

でも、うんこをがまんするわけにはいきません。

家では、容量に限度がある。 

街の人たちは、ここにうんこをするしかなかったのです。


■普段、私たちは「家のトイレの水が流れなかったらどうしよう」

などと心配するようなことはありません。

トイレの水は流れて当たり前なのです。 

それだけ、幸せなのです。


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【 当たり前の生活ができる幸せに感謝する 】
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■中谷彰宏さんは、その著書「中谷彰宏 金言集」
  http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478001049/mag2com02f-22

 のなかにこんなことを書かれています。


あなたの今日一日は、幸せな一日でしたか。

 私は、幸せな一日でした。

なぜなら、歯が痛くならなかったからです。

歯が痛くならないことは、当たり前のことではありません。

歯が痛くならないことほど、幸せなことはありません。

歯が痛くならないことに感謝して、歯をいつもより丁寧に磨く

ことにしよう。

歯が痛い時だけ、歯を磨くようではいけません。

歯が痛い不幸な時だけ文句を言う人にかぎって、歯が痛くない

幸せに感謝する気持ちを忘れてしまっています。

■いつもは、当たり前だと思って気にも留めないことが、たくさ

んあります。

でも、もし、それが当たり前でなかったら・・・

ときどき、そう考えると、当たり前の生活ができる幸せを感じ

ることができるでしょう。

■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

 「うしのフットボール」

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  毎日努力をしていても、なかなか成果が出ない。

 少しでも、成果が出れば、気持ちが続くんだが。

 誰でも経験のあることだと思います。

 ここで、努力を止めるか、続けるか。

 たいていの人は、成果が見えてこないと、努力を止めてしまい

 ます。

 そして、皆、同じことを口にします。

 「やったけど、だめだった」

 「失敗だった」

 と。

■しかし、一部の人は成果を得ることができてしまうのです。


 成果を得ることができる人は、成果がなかなか見えてこなくて

 も、努力を続けることのできる人なのです。


 では、なぜ、この人たちは、成果が見えてこなくても努力を続

 けることができるのでしょうか。

 
 それは、

 「成果というものは、意地悪なやつで、しばらくずうーと隠れ

  ておいてあるとき、突然に姿を現すものだ」

 ということを、経験上知っているからです。


■それは、さなぎからアゲハ蝶が生まれてくるようなものです。

 幼虫から、さなぎになった蝶は、外から見ればしばらく変化が

 ありません。

 まるで成長が止まっているかのように見えます。

 しかし、機が熟せば、必ず人の目を引く美しいアゲハ蝶なって

 空に舞い上がります。


■有名な成功哲学(ナポレオン・ヒル著)の中に、アメリカで成

 功者と呼ばれている五百人以上もの人々が語った言葉として、

 こんなことが書かれています。


「偉大な成功というものは、人々が敗北に兜を脱いだ時点を

 "ほんの少しだけ過ぎたとき" にやってくる」

「失敗とは、ずる賢くて皮肉たっぷりなペテン師のようなもので

 ある。われわれが成功に手が届きそうになったときに必要なも

 のは、このペテン師に惑わされない明敏な知識なのである」


■努力をして成果を出せる人は、努力をしても長らく何の変化も

 ないことを、知っているのです。

 だから、努力を続けられるのです。

 火山が突然爆発するように、臨界点を越えれば、成果が急に現

 れ出します。

 それまで、小さな努力を怠らずに続けることができた人だけが、

 成果を出しているのです。


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【 努力しても成果はすぐに現れない。長らく隠れておいて、突然

 現れる 】
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■あのマリナーズのイチロー選手が大リーグのシーズン最多安打記

 録を達成したときに、こう言っています。

 「小さなことを積み重ねれば、やがてとてつもなく大きなことが

  できる。小さなことをコツコツと積み重ねる努力をしなければ、

  絶対に大きなことはできない」


 イチロー選手は小さいときから、練習を始めて、身を持ってこの

 ことを分かっていたのでしょう。

 
 すぐに楽をして、早く成果を得ようとする我々凡人にとっては、

 耳の痛い言葉です。

■私は学生時代に配管工事のアルバイトをやっていました。

 小さな設備工事会社をゼミの教官に紹介されたことがきっかけで

 す。

 その教官も日曜日にはその会社で配管工事をやっていました。

 教官の給料では食べていけなかったのだと思います。

■その会社に一人変わり者の社員さんがいました。

 技術的な指導が厳しく手抜きを許さないので、アルバイト仲間か

 らは敬遠されていました。

 誰もが、その人とコンビを組んで助手をやらされるのを避けてい

 たのです。
 
 その結果、いつも私がその人とコンビを組まされました。

 天井に配管を支持するために、天井のコンクリートに穴を開けて、

 アンカーボルトを打ち込む作業が主な仕事でしたが、最初はこれ
 
 がうまくいかずに

 「何をやっとるんや。このぼけ。工事はミスしたら命とりになる

 んやで」

 「税金で大学に行かせてもらっているくせに、役にたたん奴やな。

 この税金どろぼう」

 と何回も、怒鳴られ続けました。

 私は、事実なので、仕方なく、ただ失敗しないように技術を身に

 付けていくしかありませんでした。
 

■幸い私は生まれつき手先が器用だったこともあり、1週間もすれ

 ば正確にアンカーボルトを打てるようになりました。

 やがて、その社員さんは、何も言わずに仕事を任せてくれるよう

 になりました。

 おまけに、私を引っ張って行っては、次々と新しい仕事を教えて

 くれました。

 配管とは直接関係のない、鉄筋と鉄筋とを針金で結わえるハッカ

 ーという道具の使い方まで教えてくれたのです。

 私の家には今でもハッカーがあります。


■あるとき、その会社の社長さんにトイレの帰りにばったりと会い

 ました。

 「○○さんは、仕事に厳しいので、皆から敬遠されていますが、

  どういう人なのですか。私にはただ厳しいだけの人には見えま

  せんが?」

 私は、無意識に社長に質問していました。

 「ああ、あれは、わしの兄貴や」

 意外な答えが返ってきました。

 「兄貴は、電力会社に勤めとったんやけど、後輩が工事でミスを

  して辞めさせられたんや」

 「兄貴は、そのミスは上司の指示が曖昧だったために起こった

  もので、後輩を辞めさせるのは納得がいかないと、会社に抗

  議して、自分も辞めてしまったんや。それでここで働いとる」

 「そうでしたか。それで工事には厳しいんですね」

  そのとき私の疑問は一気に解けました。

 「ああ、そうそう、兄貴は君のことを気にいっとるみたいやで」

 「君が、社会に出たときに少しでも役に立つように、いろんな

  現場の技術を教えたるんや。あいつは大卒やから、会社に入

  っても現場の技術を教えてもらう機会がないし、現場の誰も

  すき好んで、大卒に技術なんか教えん。そこで、現場の技術

  を知っとったら、現場の連中は一目置くんや。兄貴はそう言

  うとったで」

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

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【 厳しさに隠された優しさがある 】
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■この話、皆さんはどう思われますか?

 厳しくして嫌われるだけ損。

 そう、社長が、言わなければ私のために厳しくしていることは分

 らなかったと思います。

 でも、いつかはそのときのありがたみは分るものです。

■例えば、建設現場の工事長になったときに、

 現場の若い衆に、ただ漠然と

 「アンカーボルトの穴は正確に空けなさい」

 と言っても

 「何も経験ないくせに。口だけやったら何でも言える」

 と聞き流されます。

 しかし、

 「こうして、ドリルに穴の深さ分のしるしを付けておけば、正

  確な深さの穴が空けられ、アンカーがしっかり効くでしょう」

 と自分で見本を示せば、部下の見る目が変ります。

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夏になると思い出すことがあります。

それは子供のころ、テントの中から顔を出して、満天の星々を眺

 めていたときの、ゆったりとした時間の流れです。

 たまには、あのころに戻って、過ぎ行く夏の夜空を眺めてみるの

 もいいのではないでしょうか。


■さて、今日は「明るい貧乏」についてお話しします。

 私は、以前子ども会のお世話をしていたことがあります。

 そのときの副会長は、私よりも年上で、おまけに子どものころか

 ら喧嘩っ早いので有名な人でした。

 
 ですから、周りの皆さんは、全員この人を敬遠していました。

 ただ、彼は私のいうことだけは素直にきいてくれました。

 私が、根っからワル好きなのが彼には分かっていたのかも知れま

 せん。


■ある日、そんな彼と共に夏休みに子供たちを裏山でキャンプさせ

 ることになりました。

 子どもたちは一応全員テントに入っていたのですが、近くに池が

 あるため、私たち大人は徹夜で監視をしなければなりませんでし

 た。

 
 私たちは、子どもたちが寝静まった頃、本部テントの下で、ビー

 ルを飲みながら雑談を始めました。


 しばらくして、少しお酒もまわってきたところで、彼が自分のこ

 とを話し出しました。

 こういう話です。

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■彼は高校時代、家が貧しかったので、牛乳配達のアルバイトをし

 ていました。

 毎朝4時に起きて、牛乳配達をしてから学校に行く。これを3年

 間1日も休まずに続けたのです。

 
 これだけを聞くと、彼はとても親孝行な真面目な子供ということ

 になるのですが、その彼は面白いことに、学校では札付きの不良

 だったのです。

 
 ですから、学校では牛乳配達をしている親孝行な子どもであるこ

 とを誰も知りません。

 彼にしても、そんなことが知れると不良の威厳に傷が付くので、

 決して自分からは、ばらしません。


■ここまでなら、よくある話です。

 これからが彼の本領発揮です。

 
 彼は、高校までバスで通学していました。

 3年間定期を使ってバスに乗っていました。

 でも彼は、たった一度だけしか定期を買ったことがありませんで

 した。

 もちろん、お金が無かったからです。

 では彼はどうして3年間もバスに乗ることができていたのでしょ

 うか。


■1回目の定期が切れたときに、彼は定期を買うお金が無くて困っ

 てしまいました。

 そこで、定期の数字をマジックで書き換えたのです。

 おそるおそるバスを降りようとすると、運転手さんはチラッと定

 期を見ただけで何もいいません。

 「ああ、よかった」

 そう思って、次の日もバスに乗りました。

 また、運転手さんは何もいいません。

 
 これを、繰り返してたった一回定期券を買っただけで、3年間バ

 スに乗り続けたのです。

 皆さん、こんなことが信じられますか。

 私も最初は作り話だと思いました。


 次の話を聞くまでは。


■彼もいよいよ卒業となりました。

 卒業式の前日に彼は3年間お世話になったバスの運転手さんに贈り

 物を届けようと考えます。

 田舎のバスなので、同じ時刻の運転手さんは、ずっと同じ人だった

 のです。


 でも、貧乏なので、贈り物を買うお金がありません。

 あるとき、彼は、はたと名案を思いつき、大きな箱を持ってバスに

 乗りました。

 
 大きな箱。何だと思いますか。


 それは翌日に卒業生に配るはずだった紅白饅頭50個が入ったダン

 ボール箱だったのです。

 
 なんと、彼はダンボール箱ごと学校から失敬してきてバスの運転手

 さんにお礼として渡したのです。

 
 「おっちゃん。3年間見逃してくれてありがとう。おっちゃんのお

  かげで卒業できた」

 そう言いながら、ダンボール箱ごと運転手さんに渡しました。

 
 運転手さんは、ニッコリと微笑んだそうです。

 

■その後、彼は私にこういいました。

 
 「運ちゃんは何もいえへんかったけど、あんな何回も書き直した

  汚い数字を見れば、誰でも分かる」

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 この話を聞いて、確かに褒められたことではありませんが、何か

 貧乏に萎縮することのない彼の逞しさと、前向きな明るさに感動

 したことを覚えています。

 

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【 明るければ貧乏でも生きられる 】
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 あの「佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七著)徳間文庫」

 にこんな一節があります。

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 しかし、ばあちゃんの答えはこうだった。

 「何言うとるの。貧乏には二通りある。

  暗い貧乏と明るい貧乏。

  うちは明るい貧乏だからよか。

  それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。

  自信を持ちなさい。

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■私も大学生の時には、電車通学をしていました。

 定期の更新時期になると、いつもお金がなくて困っていたのを思

 い出します。


 定期が切れることが分かっているのですが、お金がないので、更

 新できません。

 仕方がないので、アルバイトのお金が入るまで切符を買って電車

 に乗る。

 
 ひどいときには、切符を買うとポケットにはたったの10円しか

 残らず、10円だけ持って、電車に乗ったこともあります。


 もちろん、帰りの電車賃はありません。


■でも、今思い出すと、まったく暗さはなかったように思います。

 
 今はお金が無いだけ、体さえ健康なら、働けばいつかお金は入って

 くる。

 友達に借りられなければ、駅員さんに頼み込んで、降ろしてもらっ

 たらいい。

 お金を持っていない者を、駅に閉じ込めてもどうしようもないのや

 から。

 
 いつも、そんなふうに考えていました。


■お金がないから、学校に行けない。俺はなんて不幸だ。

 なんてことを考えていたら、きっと卒業できなかったと思います。


 若いということはすばらしいですね。

 

■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

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 今日は「安全地帯」についてお話しします。


 昨年の末に私は胃カメラを飲みました。

 集団検診で十二指腸の弓部変形が発見されたからです。

 受診を予約して、病院の待合室で順番を待っている時のことでし

 た。

 何気なく、テレビを見ていた私は、急にその画面に釘付けになり

 ました。


■確かNHKだったと記憶しています。

 テレビでは、幻冬舎の創設当時の特集を放映していました。
 
 幻冬舎は、五木寛之「大河の一滴』等で有名になった新参の出版

 社です。

 創設者の見城社長は、大手出版社を退職して、新たに出版社を起

 こしたのです。


■何もない雑居ビルで、社員6人とラグビーボールを回しながら、

 結束を確認したこと。

 
 仕事をもらうために、見城社長は、社員を帰した後や休日に、一

 人でもくもくと作家さんに出稿依頼の手紙を書き続けたこと。


 最初の出版には、生死をかけて、莫大な広告費をつぎ込んだこと。


■いつしか、私の頭の中から、胃がんかも知れないという恐怖は消

 えていました。

 それぐらい、そのテレビは人を引き付ける魅力がありました。


■そのテレビを見ていて私はある出来事を思い出しました。

 それは私が、安定したサラーマンを辞めて、1年くらい経ったと

 きのことです。

 
 既に失業保険の給付は終わっていました。

 その年の5月に、食べるためにと学習塾を始めていましたが、ど

 田舎の実績のないところに生徒がきてくれるはずがありません。

 生徒は、僅か6人でした。 


■月の売り上げは、10万円。

 その中から、アルバイトの給料と電気代等の家賃を引くと、手元

 には、僅か5万円しか残りませんでした。


 そんな状況の中、ある夜、妻がぽつんと私に言いました。

 「あんた、このままやったら、一家で首つらなあかんで」

 別に私を責めるわけでもなく、ただ寂しそうな顔をしていました。

 
 サラリーマン時代には、「もうすぐ1千万やな」と二人で話して

 いたのが、その10分の1の収入しかなかったのです。

 
 子供は、高校生1年生を筆頭に、中学2年生、小学4年生の3人

 がいました。

 独身なら、何とも思わないのですが、家族に対する責任があり、

 相当こたえました。

 
■そんなことを思い出しながら、そのテレビから

 「やっぱり独立することは大変なんや。俺もがんばろう」

 と勇気をもらいました。

 
 実は、サラリーマン時代に会社の経営効率化を推進していました。

 収益が悪化し、このままでは社員も会社も共倒れになりかねない

 状況でした。

 
 そんな中、私は、省力化を担当しました。

 その計画を実行すると百名以上の人員が不要になります。

 「こんな後ろ向きの仕事いややな、辞めよかな」

 そう思ったことが一度だけありました。


■あるとき、労組出身の先輩管理職が私に言いました。

 「人を放り出すのは、面白いやろな」

 「誰も好きでやっているわけでない。誰かがやらなければならな

  い仕事や」

 私はそう言いたい気持ちを抑えました。

  
■やがて、労組との交渉も成立して、省力化は軌道に乗りました。

 そのときです。

 「私は、楽になった」

 と思ったのです。

 もう、苦労することはない。

 これから、悩むことはない。楽ができる。


■しかし、省力化された人たちは、関連会社などに配置転換されて、

 また一から新しい仕事をやらねばなりません。


 「自分だけ安全地帯にいていいのか」

 「一瞬でも、辞めたいと思ったことがあるのに、自分が楽になる

  と、そのことを無かったことにしていいのか」

 
 そんな疑問がわいてきました。

 
 そして、そのうちに

 「自分だけが安全地帯にいてはいけない」

 「楽になったからこそ、辞めるべきだ」

 そういう結論に達しました。
 
 そして、安全地帯から飛び出しました。

 

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【 何も起こらなければ安全地帯から飛び出せない  】
──────────────────────────────


■先の幻冬舎さんのホームページに幻冬社「戦闘宣言」というもの

 が掲載されています。

 私の考えと近いところがありますので、引用させていただきます。


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■私たちは文藝が衰退しているのではなく、文藝を編集する側が衰

 退しているのだと考えています。すなわち、大手寡占状態の中で

 出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますこと

 なく本を送り出しているのではないか?血を流し、葛藤し、渇い

 ている作者と読者のひとりひとりに対してあまりにもヌクヌクと

 生活しているのではないか?大手出版社というブランドに守られ

 て、ひりつくような痛みとははるか遠い所でいつも安全な本作り

 をしている自分の姿を思い浮かべる度に、吐き気をもよおしてい

 たことは事実でした。


 もう一度ゼロに戻したい。もう一度ひとつ間違えば地獄へいく薄

 氷を踏んでみたい。そんな思いのなかで出発しました。逆にいえ

 ば社員ひとりひとりの人生の問題として、今の自分に否定形の

 「NO」を言い続けるために設立されたのです。

 
 私たちには今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよ

 いことだと感じています。私たちを縛る出版界の常識もありませ

 ん。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことがで

 きます。


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■まさに、私の会社が出発したときと同じです。

 あることがきっかけで「安全地帯」から飛び出しました。

 何もありませんでした。

 電話器1台とパソコン1台。

 それに私一人。 

 たったそれだけでした。

 

■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

 「うしのフットボール」

 https://www.spotwrite.jp/ranking.cfm

 

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 今回は「お布施」についてお話しします。

 仏教で使われる言葉ですが、宗教に偏った話ではありません。

 人の生き方の話としてお読み下さい。
 

■私は、田舎の農家の七代目として生まれました。

 初代は江戸時代にこの家に生まれています。
 
 家紋は、あの大財閥三菱の創業者岩崎弥太郎さんと同じく「三つ

 柏」です。

 皆さんが柏の葉を目にするのは、5月の節句に柏餅をいただくと

 きくらいでしょうか。

 三つ柏の家紋は、その柏の葉が丁度ベンツのマークのように三つ、

 120度毎に配置されています。


 
■今の三菱さんのマークは、岩崎弥太郎さんの家紋である
 
 「三つ柏」を元に柏の葉をひし形に変えてできたものであると、
 
 誰かに聞いたことがあります。

 
■そんなことは、さておいて、七代続く家ですから、仏壇には仏様

 が13人いらっしゃいます。

 その中には、今から37年前の同じ年に亡くなった私の父と祖父

 もいます。


 お盆になると、お寺さんが一軒づつ各戸を廻ってお経を唱えられ

 ます。

 私たちも、その後ろでお経を唱えます。

 私はこれを13歳のころから37年間続けています。

 

■私がまだ若い頃、お寺さんが我が家に来られたときのことです。

 私は、かねがね疑問に思っていたことを尋ねました。

 「後ろで、お経を唱えているのですが、僕には全く意味が分かり

 ません。意味が分からず、お経を唱えて価値があるのでしょうか」

 
 お寺さんは、この生意気な子供に、ニッコリと笑って答えられま

 した。

 「お経の意味は分からなくてもいいのですよ。君は今、意味が分

  からずともお経の文字を追いかけて、それを声に出している」

 「そのときは、無心でお経の文字を追いかけているはずです。他

  のことを考えていては、到底、この速いお経を唱えることがで

  きないのですから」
 
 「たとえ、10分でも、無心の境地になる。これが大事なのです」


  今考えると、確かに、雑念を排除して無心で文字を追いかける、

 そんな時間も必要な気がします。

 

■ところで、そのお寺さんがよく唱えられるお経に「修証義」とい

 うものがあります。

 これは、道元禅師の有名な主書「正法眼蔵」九十五巻の中から、

 比較的平易なところを選び抜いてまとめられたものです。

 いわば、「正法眼蔵」のダイジェスト版です。

 生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に

 仏あれば生死なし、・・・

 から始まる5章から構成されたお経です。

 

■その「修証義」に「布施」について書かれているところがあり

 ます。

 仏教では、お寺さんがお参りになったときに「御布施」として、

 金銭をお渡しします。

  街中で托鉢をされているお坊さんにお渡しするのも「御布施」

 です。


■「修証義」には布施についてこう書かれています。

 衆生を利益すというは四枚の般若あり、一つには布施、二つに

 は愛語、三つには利行、四つには同事、これ則ち薩埵の行願な

 り、其の布施というは貪らざるなり、我物に非ざれども布施を

 障えざる道理あり、其物の軽きを嫌わず、その功の実なるべき

 なり、然あれば則ち一句一偈の法をも布施すべし、此生侘生の

 善種となる、一銭一草の財をも布施すべし、此施侘施の善根兆

 す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず、

 自からが力を領つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、

 治生産業固より布施に非ざることなし。


 
■その意味は(「修証義に学ぶ」佐藤俊明著 現代教養文庫)を

 参考にすると、こうなります。

 人々のために利益を与えるということには四つの智慧がある。

 一は布施、二は愛語、三は利行、四は同事であり、これは菩薩

 の誓願であり、実践である。

 布施というのは、貪らないことことである。だから、自分のも

 のでなくとも布施をすることができる道理がある。

 布施は、施す物が軽少であってもよいが、心がこもってなくて

 はならない。

 従って、一句でも一偈でも、一銭でも一草でも布施すべきであり、

 その功徳は、現在及び将来においてよい果報を受ける善い原因と

 なり、善いおこないとなる。

 法を施してそれが財となることもあり、財を施してそれが法とな

 ってあらわれることもある。

 布施をしても返礼を期待せず、自分の力をわけ施すことが肝要で

 ある。

 舟を運行したり、橋を架けて交通の便をはかるのも布施であり、

 職業もまた布施となるのである。


 以上が、佐藤俊明さんによる布施の解説です。

 そして、布施には、法施と財施があるそうです。

 ものの道理に明るい人が、道理に暗い人を導いてやる、生きる道

 に悩む人に仏の道を伝え、光明を与えてやる、これが法施だそう

 です。 

 また、物を持っている人が人に物を施し与える、これが財施だそ

 うです。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

──────────────────────────────
【 布施とは、人々の役に立つために自分のできることをすること  】
──────────────────────────────
  

■私は、布施とはお寺さんにお渡しするものだと思っていました。

 どうやら違うようです。

 形式的にはお寺さんにお渡しすのですが、お寺さんを通じて、

 世の中の役にたててほしい。そう願ってお渡しするものでした。

 

■世のため、人のために尽くす。

 政治家も法施をする人です。

 そして私たちから預かった大事な税金もいわば財施の一つです。

 私心なく、「世のため、人のために尽くす」ことに使ってほし

 いものです。

 決して、自分たちのためにではなく。

 

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■皆さん、こんにちは。
 
 いつもお読みいただきありがとうございます。 

 今日は「お勉強と社会常識」についてお話しします。


■「出世コース」

 昔よく聞かれた言葉です。

 その代表的なコースが、東大法学部 → 中央省庁 → 天下り

 → 天下り (以下繰り返し)

 でした。

 (最近はご存知のようにこれが崩れつつありますが)


■そして、一部の親たちはまるで一流大学に入学さえすれば、出世

 コースに乗って将来が約束されているかのように、一流大学入学

 を我が子の最終目標としてきました。

 社会に出ておられる皆さんは、これが間違いであることはよくお

 分かりですが、一流大学を卒業することと、仕事ができることと

 は、全く関係がありません。

 仕事は、人と人との関係においてするものだからです。

 コミュニケーション能力、責任感、おもいやり等がない人物は、

 仕事を円滑に進めていくことができないのは明白です。

 
 また、世の中にはいわゆる「お勉強」だけができて、社会常識が

 ない人もたくさんいます。


■昔の話で恐縮ですが、私の学生時代にこんな大学教授がいました。

 その教授は、恐ろしく頭の切れる人でした。

 それが災いして講義は自己満足の世界で、誰もその講義の内容に

 ついていける者はいませんでした。

 学生が理解できているのか、いないのか、そんなことは全く教授

 の眼中にはなかったのです。

 ただ、あるのは自己陶酔の世界だけでした。


■教授は子どもの頃から、誰とも遊ばずにお勉強一筋に生きてきた

 人でした。

 そんな教授が、ゼミの飲み会に出席したときのことです。

 一次会が終わって、二次会に行くことになり、そのときは初めて

 教授も参加することになりました。

 二次会に選ばれたのは、ある院生のなじみのスナックでした。

 ドアを開けたとたん、きれいな店のお姉さんが目に入った教授の

 顔は、みるみる緩んでいきました。
 
 2次会が始まって10分くらいたったころ、店のお姉さんがその

 教授に言いました。

 「先生、私も一杯いただいていいかしら」

 「どうぞ、???」

 教授は、なんだか歯切れの悪い返事をしました。

 その後、お姉さんは、勢いづいて水割りをせっせと自分で作って

 飲んでいました。


■2時間くらい経って、幹事がママにお勘定の催促をしたところ

 「はあ~い。5万でえ~す」

 と嬉しそうにお姉さんが、メモ用紙に金額だけを書いた紙を幹事

 に渡しました。

 すると、それを横で見ていた教授が、メモ用紙を取り上げて

 「これでは、中身が分からんやないか。中身を教えなさい」
 
 と言い出したのです。

 お姉さんが仕方なく、シドロモドロに説明を始めました。
 
 「ええ~と、先生が水割り3杯で、・・・、私が水割り5杯・・」

 それを聞いたとたん、教授はお姉さんを諭すように言いました。

 
 
 「あなたの分は、あなたが飲んだのだから、あなたが払いなさい」

 「???」

 

 定年前の教授は、今までスナックで飲んだことがなかったのです。
  


■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 世の中、本当は、お勉強よりも人間性 】
────────────────────────────────

■この教授のようなタイプは、教授になれて本当に良かったと思い

 ます。

 一般企業に就職していれば、うまく人間関係が築けずに潰れてい

 たかも分かりません。

 お勉強もそうですが、全てのことは優れた人間性という土台があ

 ってこそ、その価値が発揮されるものなのです。 


■子どもの教育で一番大切なこと。


 それは、優れた人間性を身に付けさせてあげることです。

 

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