さて、岡山城の次は、秀吉の水攻めで有名な備中高松城を目指しました。備中には、もうひとつ備中松山城と言う城ファンなら誰でも行ってみたい山城があります。そこも惹かれたのですが、やはり山城を攻略するときは、友人と一緒のときと思い、岡山から比較的近い、備中高松を単身目指すことにしました。
備中高松駅に近づくと、大きな鳥居が目に入りました。まさに「なんじゃありゃ!?」の大きさです。写真は、後から撮ったものですが、あまりにもの大きさにたまげてしまいました。最上稲荷さんの鳥居のようです。
ふぇーーと驚いたものの、目指す目的はお城跡なので、そちらに向かいました。駅からしばらく歩いていくと、公園と言うか、城跡の公園に到着しました。駅からたいした距離ではありませんでした。お決まりの看板の前で撮影をして、公園内を散策しました。
僕個人的には、「備中高松城跡」とか「本丸跡」って書いてある石碑を探したのですが、全然見つかりませんでした。途中で、「清水宗治公城跡」かなにかが書いてある石碑を見つけたのですが、ここが本丸なのかなぁと、少し疑問。しかも、文字が消えかかっていて、写真でみても何が書いてあるか分かりません。その近くには首塚もあり、多分ここだろうと思い石碑を写真に収めました。首塚は、ちょっと怖いので見ただけにしました。
さらに公園を一周して、資料館に入りました。なんか蔵みたいな建物で、そこは二の丸跡にあたるそうです。係のおばさんが解説をしてくれました。秀吉が築いた堤防は、約3キロだったとか。あれこれと。で、その説明の際に、清水宗治(城主)公は、忠義の人で、以前、宗治の子供を毛利方に助けてもらったことがあったので、その恩をここで返すために、命がけで城を護ったと説明してもらいました。言葉の節々に感じられたのは、ここの人らは、アンチ秀吉かなと。
例えば有馬温泉なんかに行くと太閤さんを称えることが多いのですが、この備中の方にとっては秀吉はただの侵略者なんだろうなと思いました。
一応、おばさんに本丸跡を確認しました。さきほどの石碑のあったところが本丸跡であっていたようです。
特に遺構らしいものはなかったのですが、この辺を水没させたのかと感慨に耽りながら謎の巨大鳥居を写真に収めて、備中高松城攻略を終えました。