日本のお城の最近のブログ記事

  P1010570.jpgさて、岡山城の次は、秀吉の水攻めで有名な備中高松城を目指しました。備中には、もうひとつ備中松山城と言う城ファンなら誰でも行ってみたい山城があります。そこも惹かれたのですが、やはり山城を攻略するときは、友人と一緒のときと思い、岡山から比較的近い、備中高松を単身目指すことにしました。

備中高松駅に近づくと、大きな鳥居が目に入りました。まさに「なんじゃありゃ!?」の大きさです。写真は、後から撮ったものですが、あまりにもの大きさにたまげてしまいました。最上稲荷さんの鳥居のようです。

ふぇーーと驚いたものの、目指す目的はお城跡なので、そちらに向かいました。駅からしばらく歩いていくと、公園と言うか、城跡の公園に到着しました。駅からたいした距離ではありませんでした。お決まりの看板の前で撮影をして、公園内を散策しました。

僕個人的には、「備中高松城跡」とか「本丸跡」って書いてある石碑を探したのですが、全然見つかりませんでした。途中で、「清水宗治公城跡」かなにかが書いてある石碑を見つけたのですが、ここが本丸なのかなぁと、少し疑問。しかも、文字が消えかかっていて、写真でみても何が書いてあるか分かりません。その近くには首塚もあり、多分ここだろうと思い石碑を写真に収めました。首塚は、ちょっと怖いので見ただけにしました。

P1010553.jpgさらに公園を一周して、資料館に入りました。なんか蔵みたいな建物で、そこは二の丸跡にあたるそうです。係のおばさんが解説をしてくれました。秀吉が築いた堤防は、約3キロだったとか。あれこれと。で、その説明の際に、清水宗治(城主)公は、忠義の人で、以前、宗治の子供を毛利方に助けてもらったことがあったので、その恩をここで返すために、命がけで城を護ったと説明してもらいました。言葉の節々に感じられたのは、ここの人らは、アンチ秀吉かなと。

例えば有馬温泉なんかに行くと太閤さんを称えることが多いのですが、この備中の方にとっては秀吉はただの侵略者なんだろうなと思いました。

一応、おばさんに本丸跡を確認しました。さきほどの石碑のあったところが本丸跡であっていたようです。

特に遺構らしいものはなかったのですが、この辺を水没させたのかと感慨に耽りながら謎の巨大鳥居を写真に収めて、備中高松城攻略を終えました。

P1010516.jpg5月3日、岡山に日帰りで出かけてきました。例年、GWは友人と城廻をしていますが、今年は新幹線のチケットなどの都合がうまくつかず、延期になってしまい、家でのんびりしているかと思ったのですが、いい天気ですし久々の3連休で家にいてももったいないなあと思い、ふと岡山までなら日帰りで行けるかなと思い立って出かけました。

まず、天守閣のある岡山城を目指しました。だいたいお城のあるところって県庁があるんですね。岡山城に行くには、「県庁前」かどこかで降りたらいいと、一応調べていたのですが、何故か、乗り過ごしてしまい、バス停を一つ分歩いて戻りました。乗り過ごしてから、しまったと思ったのですが、そこは沢木耕太郎さんになったつもりで、この街を歩いてみようと、変に自分をなっとくさせて、街中を歩きました。そのおかげで、撮れたのが橋の上からの写真です。

 

P1010523.jpg岡山城の石垣は本物で大きくて、これは凄いと唸らされました。これは名古屋城より凄いぞと思いつつ、いよいよ天守へと思って、進んでいくと、途中の説明に、「天守は、鉄筋コンクリートで再建」と書いてあって、ぐぇ、そうやったんかと、ちょっとがっかり。ほとんど予備知識なしで来たので、鉄筋とは知らず、しかも石垣がいい感じだったので期待していたのに。。。で、建物を見ると、確かに新しい感じがしました。なんかおもちゃみたい、名古屋城と一緒やんか、みたいな感じでした。鯱も、作ったって感じでした。さらに鉄筋だけあって、エレベータ内臓天守できっと宇喜多秀家もびっくりだと思います。


まぁ緑がきれいで、石垣がかなり立派だったので、よしとするか。戦災で焼けてしまったものはどうしようもないですね。P1010535.jpg

 


年末の旅行の締めくくりは、上田城です。春日山で、昼ごはんを食べれらなれなかった僕たちは、空腹を紛らわせるために、駅前の自動販売機で、温かい飲み物を買って、電車に乗込みました。長野駅でお弁当を買って、長野駅から上田駅までの車内で、弁当を急いで食べました。僕が買ったのは、「謙信公出立の~」とか言うようなやつで、なかなかいろいろと入っていて美味しかったです。「塩」の袋が入っていたのが、「敵に塩を送る」の話に因んでいるのかなとなるほどぉと感心しました。

P1010296.jpgさて、上田城ですが、JR上田駅から徒歩ですぐでした。車内からお城らしきものが見えてから、かなり移動したような気がしたので、歩くのは大変かなと思ったのですが、実  際に歩いてみるとそれほどの距離でもなく、ましてや上り坂がきついと言う事もないので、たいした苦労もなく、お城に到着しました。

石垣の中に、「真田石」と呼ばれる有名な大きな石があったので、持ち上げようとしてみましたが、うんともすんともしませんでした。(当たり前ですね。ほんまに持ち上げようとしたわけではありません・・・。旅の一興で真似ただけです)

夕方近くに訪れたので、暗くなりかけていたので少し寂しい感じがしましたが、春の季節のいい頃に来ると、桜がきれいだろうなぁと思いました。

堀の水は凍っていたので、やっぱ長野県って寒いんですね。

帰りにお土産屋によると、真田幸村グッズをあさっている、お客さんが何人かいました。僕もいろいろ欲しいものがあったのですが限がないので、お城のメダルだけを買うことにして、後はあきらめました。

P1010317.jpg途中に、真田藩主屋敷跡があると資料に書いてあったので、散策を兼ねて探してみました。上田高校と言う学校があって、学校の周りに、堀のようなものがあったので、感心していると、実は、上田高校が、真田藩主屋敷跡にたっていたのでした。これまたびっくりして、思わず写真を撮って帰りました。

これで、今回の旅行は最後となったのですが、最後に駅でお土産をまとめて買おうと算段していたのですが、上田駅のお土産屋さんでは、僕たちの心をそそるようなお土産がなくて、かなり難儀しました。こんなことなら、少々荷物になっても長野駅の近くで買っておけばよかったと後悔しました。と言う事であまりいいお土産が買えなくて、ごめんなさいとなったのでした。

 松代城を攻略した後、長野市内のホテルで一泊しました。夜は居酒屋で今回の旅行と久々の再開を祝して乾杯をしました。翌日、僕たちは春日山城を目指して、長野を後にしました。直江津へ向かう途中、山間部では、雪が積もっていて、スキーに向かうお客さんがたくさん乗っていました。新潟は寒いのかなと、内心恐々。天気が少し危ないようなことを言っていたので雪が積もってるのかなぁと心配になりましたが、山間部を越えて、直江津に近づいてくると、雪も見えなくなり、お日様もでてきたので、ホッとしました。

P1010260.jpg今回の春日山城ですが、実は10年ほど前、初めて友達とお城攻略を計画し、春日山城に行こうと約束をしたのですが、当日、僕は風邪を引いてしまい、微熱があったので、ドタキャンをしてしまい、一緒に行けなかったという苦い思い出があります。友達は一人で訪れることになりました。ただその時は、体調が少し回復したので、途中から駆けつけ、一緒に新潟の新発田城を攻略すると言ういまから考えたら、よくそんな元気があったなぁと言うことをしたのでした。帰りの東京からの新幹線の中で咽喉が痛くて、気持ち悪かったのをなんとなく記憶しています。

その因縁の春日山城を攻略です。前回友達が来たときは春日山駅は無人だったらしいのですが、いまは駅員さんもいました。街並も少し開けたようです。

駅から歩いて城跡へ向かいました。これまでに数々の山城を攻略している僕たちにとって、道路を歩くのはなんでもないことです。友達の記憶では、一軒、古い旅館が城に行くまでにあったそうで、いまも残っているか、気になってたのですが、ふもとに「春日山旅館」と言うその旅館はいまもあり、営業もしているようでした。

そこから少し坂道を登ると、僕はもうこの辺で息があがって大変だったのですが、お土産物屋さんと、上杉謙信の像があり、春日山神社がありました。僕たちの目的は神社ではなく、本丸跡なので、そこから、さらに山道を登っていきました。

お土産物屋さん付近で一緒になった方が、車で上がれないのかと、お店の人に聞いていたそうですが、お店の方は、

「ここは歩いて登る山ですから」

P1010275.jpgと、車の利用を却下されていました。「これだから、素人は・・・」と友達と苦笑しました。 

汗を拭い、息を整えながら、ようやく本丸跡にたどり着きました。汗がひくと少し寒く感じました。見晴らしは抜群で、直江津方面を眺めると日本海も見ることができます。約10年越しにかなった春日山城攻略は感慨深いものでした。

山城を登った後、本丸跡から眺める風景は格別のものがあります。これは天守閣のあるお城を登るのとは少し違います。ここから上杉謙信は、天下を睨んでいたのかと、思いを馳せつつ、昔の人は凄かったなあといつもながらに感心してしまうのです。

 さて、春日山城を攻略したのですが、帰りの電車まで幾ばくも時間がありません。急いで下山し、お土産を漁って、駅へと向かいました。途中、お昼ご飯を食べたかったのですが、そんな時間もなく、かと言って、コンビニも全然なくて、長野までお昼ご飯はお預けになりました。なんとまぁこんなとこで兵糧攻めにあうとは思っても見ませんでした。

最後は上田城ですが、その話はまた次回に。

明けましておめでとうございます。今年、最初の記事は、前回の松本城に続いて、松代城攻略です。昨年の大河ドラマの影響ではありませんが、ふと海津城跡を訪れてみたいと思い、今回のコースに組み込みました。P1010250.jpg

 川中島の古戦場を眺めたり、上杉謙信が陣取った妻女山の眺めて、昔の合戦に思いを馳せてみました。妻女山と言うのは、高い山かと思っていたのですが、案外そうではないようです。車で行っていれば、陣跡も訪ねてみたいところですが、いかんせん電車でしたので、眺めて想像するだけにとどめました。遺構についての詳細は、もっと詳しく書いてある専門的なHPを見てください。僕はこの石垣は本物なんだろうなぁと見て帰ってきました。堀の水がかなり濁っていたのが、残念と言えば残念なのですが、案外、戦国時代から堀の水ってこんな感じなのかな。

旧真田藩邸を見学に行ったのですが、ちょうど改修?工事中で、庭園跡しか入れませんでした。庭園は、いまいちでした。藩邸の門の前で写真を撮って、まぁ良しとしました。

松代に行くまで、信濃鉄道と長野電鉄を乗り継ぎました。長野電鉄の駅舎は昭和の初期の頃?と思わせるようなレトロな駅でした。これは鉄道マニアの人は必見ですよ。

12/22~23と、信州方面へ旅行に行ってきました。朝、6時前の始発電車に乗って、最初の目的地である松本城へ向かいました。松本駅にて、友人と合流する予定です。途中、木曽のあたりは雪が残っていたので、松本は寒いのかなぁと想像していたのですが、松本に近づくと雪は残っていませんでした。

一足先に到着していた友人と松本駅で合流して、タクシーで松本城に向かいました。時間があれば、100円バスが走っているのでそちらの方が格安なんですが、時間を節約するために、大人はタクシーです。

P1010184.jpg

さて、そのタクシーの運転手ですが、余計な気を利かせてくれて、正面ではなく、新しく修復されたとか言う、太鼓門まで運んでくれました。ありがたいようでありがたくないサービスのおかげで、余計に運賃を払うことになり、友人と、「長野の人は手堅く稼ぐなぁ」と苦笑してしまいました。

さて国宝松本城ですが、さすが国宝です。外観も中身も見ごたえ十分でした。昔の天守閣の階段はどこも急ですね。犬山城もかなり階段がきつかったです。惜しむらくは、堀の周りがあっさりしすぎていたことかな。天守閣の周りを囲むような塀があればなお一層いいのにと思いました。

ところで、松本城では目に付くもの、すべてに「国宝」と冠がついていました。なんでも「国宝松本城」と。そこまでアピールしなくてもいいのにと、ちょっと、しつこ過ぎない??と思ってしまいました。

さすがに、レシートには書いてありませんでしたが。帰りは、ちょうどいい時間になったので、100円バスで駅まで帰りました。運賃を払うとき、僕は、何を思ったのか、両替用の投入口に100円を入れてしまいました。ただ、その時は気がつかず、バスを降りてから、友達にしてきされて、あ、そうかなんか違和感があったんだけど、そう言うことだったのかと悟りました。

運転手は、友人が払うときに、投入口を隠していたそうです。とんだ田舎者と思われていたんだろうな・・・

で、次なる目的地、海津城へ向かいました。それは次回のお楽しみに。

今日で、終業式も終わり明日から冬休みですね。僕は、明日、明後日と信州の方へ旅行に行く予定です。

今回の旅行の目的は、松本城、海津城、春日山城、上田城の攻略です。いつも山城とか城跡を見て周っていてなかなか観光地のお城(天守閣があるお城)は行く機会がなかったのですが、今回遂に、松本城を訪れることになりました。

今から楽しみです。また、旅行のレポートを書きますので、みなさんもお楽しみに~。

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