今日は「安全地帯」についてお話しします。
昨年の末に私は胃カメラを飲みました。
集団検診で十二指腸の弓部変形が発見されたからです。
受診を予約して、病院の待合室で順番を待っている時のことでし
た。
何気なく、テレビを見ていた私は、急にその画面に釘付けになり
ました。
■確かNHKだったと記憶しています。
テレビでは、幻冬舎の創設当時の特集を放映していました。
幻冬舎は、五木寛之「大河の一滴』等で有名になった新参の出版
社です。
創設者の見城社長は、大手出版社を退職して、新たに出版社を起
こしたのです。
■何もない雑居ビルで、社員6人とラグビーボールを回しながら、
結束を確認したこと。
仕事をもらうために、見城社長は、社員を帰した後や休日に、一
人でもくもくと作家さんに出稿依頼の手紙を書き続けたこと。
最初の出版には、生死をかけて、莫大な広告費をつぎ込んだこと。
■いつしか、私の頭の中から、胃がんかも知れないという恐怖は消
えていました。
それぐらい、そのテレビは人を引き付ける魅力がありました。
■そのテレビを見ていて私はある出来事を思い出しました。
それは私が、安定したサラーマンを辞めて、1年くらい経ったと
きのことです。
既に失業保険の給付は終わっていました。
その年の5月に、食べるためにと学習塾を始めていましたが、ど
田舎の実績のないところに生徒がきてくれるはずがありません。
生徒は、僅か6人でした。
■月の売り上げは、10万円。
その中から、アルバイトの給料と電気代等の家賃を引くと、手元
には、僅か5万円しか残りませんでした。
そんな状況の中、ある夜、妻がぽつんと私に言いました。
「あんた、このままやったら、一家で首つらなあかんで」
別に私を責めるわけでもなく、ただ寂しそうな顔をしていました。
サラリーマン時代には、「もうすぐ1千万やな」と二人で話して
いたのが、その10分の1の収入しかなかったのです。
子供は、高校生1年生を筆頭に、中学2年生、小学4年生の3人
がいました。
独身なら、何とも思わないのですが、家族に対する責任があり、
相当こたえました。
■そんなことを思い出しながら、そのテレビから
「やっぱり独立することは大変なんや。俺もがんばろう」
と勇気をもらいました。
実は、サラリーマン時代に会社の経営効率化を推進していました。
収益が悪化し、このままでは社員も会社も共倒れになりかねない
状況でした。
そんな中、私は、省力化を担当しました。
その計画を実行すると百名以上の人員が不要になります。
「こんな後ろ向きの仕事いややな、辞めよかな」
そう思ったことが一度だけありました。
■あるとき、労組出身の先輩管理職が私に言いました。
「人を放り出すのは、面白いやろな」
「誰も好きでやっているわけでない。誰かがやらなければならな
い仕事や」
私はそう言いたい気持ちを抑えました。
■やがて、労組との交渉も成立して、省力化は軌道に乗りました。
そのときです。
「私は、楽になった」
と思ったのです。
もう、苦労することはない。
これから、悩むことはない。楽ができる。
■しかし、省力化された人たちは、関連会社などに配置転換されて、
また一から新しい仕事をやらねばなりません。
「自分だけ安全地帯にいていいのか」
「一瞬でも、辞めたいと思ったことがあるのに、自分が楽になる
と、そのことを無かったことにしていいのか」
そんな疑問がわいてきました。
そして、そのうちに
「自分だけが安全地帯にいてはいけない」
「楽になったからこそ、辞めるべきだ」
そういう結論に達しました。
そして、安全地帯から飛び出しました。
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【 何も起こらなければ安全地帯から飛び出せない 】
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■先の幻冬舎さんのホームページに幻冬社「戦闘宣言」というもの
が掲載されています。
私の考えと近いところがありますので、引用させていただきます。
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■私たちは文藝が衰退しているのではなく、文藝を編集する側が衰
退しているのだと考えています。すなわち、大手寡占状態の中で
出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますこと
なく本を送り出しているのではないか?血を流し、葛藤し、渇い
ている作者と読者のひとりひとりに対してあまりにもヌクヌクと
生活しているのではないか?大手出版社というブランドに守られ
て、ひりつくような痛みとははるか遠い所でいつも安全な本作り
をしている自分の姿を思い浮かべる度に、吐き気をもよおしてい
たことは事実でした。
もう一度ゼロに戻したい。もう一度ひとつ間違えば地獄へいく薄
氷を踏んでみたい。そんな思いのなかで出発しました。逆にいえ
ば社員ひとりひとりの人生の問題として、今の自分に否定形の
「NO」を言い続けるために設立されたのです。
私たちには今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよ
いことだと感じています。私たちを縛る出版界の常識もありませ
ん。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことがで
きます。
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■まさに、私の会社が出発したときと同じです。
あることがきっかけで「安全地帯」から飛び出しました。
何もありませんでした。
電話器1台とパソコン1台。
それに私一人。
たったそれだけでした。
■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに
私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を
示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。
お読みいただければ幸いです。
「うしのフットボール」
https://www.spotwrite.jp/ranking.cfm
「リーダーズリーダーズ」でこの記事をチェック!