2011年6月アーカイブ

  毎日努力をしていても、なかなか成果が出ない。

 少しでも、成果が出れば、気持ちが続くんだが。

 誰でも経験のあることだと思います。

 ここで、努力を止めるか、続けるか。

 たいていの人は、成果が見えてこないと、努力を止めてしまい

 ます。

 そして、皆、同じことを口にします。

 「やったけど、だめだった」

 「失敗だった」

 と。

■しかし、一部の人は成果を得ることができてしまうのです。


 成果を得ることができる人は、成果がなかなか見えてこなくて

 も、努力を続けることのできる人なのです。


 では、なぜ、この人たちは、成果が見えてこなくても努力を続

 けることができるのでしょうか。

 
 それは、

 「成果というものは、意地悪なやつで、しばらくずうーと隠れ

  ておいてあるとき、突然に姿を現すものだ」

 ということを、経験上知っているからです。


■それは、さなぎからアゲハ蝶が生まれてくるようなものです。

 幼虫から、さなぎになった蝶は、外から見ればしばらく変化が

 ありません。

 まるで成長が止まっているかのように見えます。

 しかし、機が熟せば、必ず人の目を引く美しいアゲハ蝶なって

 空に舞い上がります。


■有名な成功哲学(ナポレオン・ヒル著)の中に、アメリカで成

 功者と呼ばれている五百人以上もの人々が語った言葉として、

 こんなことが書かれています。


「偉大な成功というものは、人々が敗北に兜を脱いだ時点を

 "ほんの少しだけ過ぎたとき" にやってくる」

「失敗とは、ずる賢くて皮肉たっぷりなペテン師のようなもので

 ある。われわれが成功に手が届きそうになったときに必要なも

 のは、このペテン師に惑わされない明敏な知識なのである」


■努力をして成果を出せる人は、努力をしても長らく何の変化も

 ないことを、知っているのです。

 だから、努力を続けられるのです。

 火山が突然爆発するように、臨界点を越えれば、成果が急に現

 れ出します。

 それまで、小さな努力を怠らずに続けることができた人だけが、

 成果を出しているのです。


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【 努力しても成果はすぐに現れない。長らく隠れておいて、突然

 現れる 】
────────────────────────────────

■あのマリナーズのイチロー選手が大リーグのシーズン最多安打記

 録を達成したときに、こう言っています。

 「小さなことを積み重ねれば、やがてとてつもなく大きなことが

  できる。小さなことをコツコツと積み重ねる努力をしなければ、

  絶対に大きなことはできない」


 イチロー選手は小さいときから、練習を始めて、身を持ってこの

 ことを分かっていたのでしょう。

 
 すぐに楽をして、早く成果を得ようとする我々凡人にとっては、

 耳の痛い言葉です。

■私は学生時代に配管工事のアルバイトをやっていました。

 小さな設備工事会社をゼミの教官に紹介されたことがきっかけで

 す。

 その教官も日曜日にはその会社で配管工事をやっていました。

 教官の給料では食べていけなかったのだと思います。

■その会社に一人変わり者の社員さんがいました。

 技術的な指導が厳しく手抜きを許さないので、アルバイト仲間か

 らは敬遠されていました。

 誰もが、その人とコンビを組んで助手をやらされるのを避けてい

 たのです。
 
 その結果、いつも私がその人とコンビを組まされました。

 天井に配管を支持するために、天井のコンクリートに穴を開けて、

 アンカーボルトを打ち込む作業が主な仕事でしたが、最初はこれ
 
 がうまくいかずに

 「何をやっとるんや。このぼけ。工事はミスしたら命とりになる

 んやで」

 「税金で大学に行かせてもらっているくせに、役にたたん奴やな。

 この税金どろぼう」

 と何回も、怒鳴られ続けました。

 私は、事実なので、仕方なく、ただ失敗しないように技術を身に

 付けていくしかありませんでした。
 

■幸い私は生まれつき手先が器用だったこともあり、1週間もすれ

 ば正確にアンカーボルトを打てるようになりました。

 やがて、その社員さんは、何も言わずに仕事を任せてくれるよう

 になりました。

 おまけに、私を引っ張って行っては、次々と新しい仕事を教えて

 くれました。

 配管とは直接関係のない、鉄筋と鉄筋とを針金で結わえるハッカ

 ーという道具の使い方まで教えてくれたのです。

 私の家には今でもハッカーがあります。


■あるとき、その会社の社長さんにトイレの帰りにばったりと会い

 ました。

 「○○さんは、仕事に厳しいので、皆から敬遠されていますが、

  どういう人なのですか。私にはただ厳しいだけの人には見えま

  せんが?」

 私は、無意識に社長に質問していました。

 「ああ、あれは、わしの兄貴や」

 意外な答えが返ってきました。

 「兄貴は、電力会社に勤めとったんやけど、後輩が工事でミスを

  して辞めさせられたんや」

 「兄貴は、そのミスは上司の指示が曖昧だったために起こった

  もので、後輩を辞めさせるのは納得がいかないと、会社に抗

  議して、自分も辞めてしまったんや。それでここで働いとる」

 「そうでしたか。それで工事には厳しいんですね」

  そのとき私の疑問は一気に解けました。

 「ああ、そうそう、兄貴は君のことを気にいっとるみたいやで」

 「君が、社会に出たときに少しでも役に立つように、いろんな

  現場の技術を教えたるんや。あいつは大卒やから、会社に入

  っても現場の技術を教えてもらう機会がないし、現場の誰も

  すき好んで、大卒に技術なんか教えん。そこで、現場の技術

  を知っとったら、現場の連中は一目置くんや。兄貴はそう言

  うとったで」

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 厳しさに隠された優しさがある 】
────────────────────────────────

■この話、皆さんはどう思われますか?

 厳しくして嫌われるだけ損。

 そう、社長が、言わなければ私のために厳しくしていることは分

 らなかったと思います。

 でも、いつかはそのときのありがたみは分るものです。

■例えば、建設現場の工事長になったときに、

 現場の若い衆に、ただ漠然と

 「アンカーボルトの穴は正確に空けなさい」

 と言っても

 「何も経験ないくせに。口だけやったら何でも言える」

 と聞き流されます。

 しかし、

 「こうして、ドリルに穴の深さ分のしるしを付けておけば、正

  確な深さの穴が空けられ、アンカーがしっかり効くでしょう」

 と自分で見本を示せば、部下の見る目が変ります。

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夏になると思い出すことがあります。

それは子供のころ、テントの中から顔を出して、満天の星々を眺

 めていたときの、ゆったりとした時間の流れです。

 たまには、あのころに戻って、過ぎ行く夏の夜空を眺めてみるの

 もいいのではないでしょうか。


■さて、今日は「明るい貧乏」についてお話しします。

 私は、以前子ども会のお世話をしていたことがあります。

 そのときの副会長は、私よりも年上で、おまけに子どものころか

 ら喧嘩っ早いので有名な人でした。

 
 ですから、周りの皆さんは、全員この人を敬遠していました。

 ただ、彼は私のいうことだけは素直にきいてくれました。

 私が、根っからワル好きなのが彼には分かっていたのかも知れま

 せん。


■ある日、そんな彼と共に夏休みに子供たちを裏山でキャンプさせ

 ることになりました。

 子どもたちは一応全員テントに入っていたのですが、近くに池が

 あるため、私たち大人は徹夜で監視をしなければなりませんでし

 た。

 
 私たちは、子どもたちが寝静まった頃、本部テントの下で、ビー

 ルを飲みながら雑談を始めました。


 しばらくして、少しお酒もまわってきたところで、彼が自分のこ

 とを話し出しました。

 こういう話です。

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■彼は高校時代、家が貧しかったので、牛乳配達のアルバイトをし

 ていました。

 毎朝4時に起きて、牛乳配達をしてから学校に行く。これを3年

 間1日も休まずに続けたのです。

 
 これだけを聞くと、彼はとても親孝行な真面目な子供ということ

 になるのですが、その彼は面白いことに、学校では札付きの不良

 だったのです。

 
 ですから、学校では牛乳配達をしている親孝行な子どもであるこ

 とを誰も知りません。

 彼にしても、そんなことが知れると不良の威厳に傷が付くので、

 決して自分からは、ばらしません。


■ここまでなら、よくある話です。

 これからが彼の本領発揮です。

 
 彼は、高校までバスで通学していました。

 3年間定期を使ってバスに乗っていました。

 でも彼は、たった一度だけしか定期を買ったことがありませんで

 した。

 もちろん、お金が無かったからです。

 では彼はどうして3年間もバスに乗ることができていたのでしょ

 うか。


■1回目の定期が切れたときに、彼は定期を買うお金が無くて困っ

 てしまいました。

 そこで、定期の数字をマジックで書き換えたのです。

 おそるおそるバスを降りようとすると、運転手さんはチラッと定

 期を見ただけで何もいいません。

 「ああ、よかった」

 そう思って、次の日もバスに乗りました。

 また、運転手さんは何もいいません。

 
 これを、繰り返してたった一回定期券を買っただけで、3年間バ

 スに乗り続けたのです。

 皆さん、こんなことが信じられますか。

 私も最初は作り話だと思いました。


 次の話を聞くまでは。


■彼もいよいよ卒業となりました。

 卒業式の前日に彼は3年間お世話になったバスの運転手さんに贈り

 物を届けようと考えます。

 田舎のバスなので、同じ時刻の運転手さんは、ずっと同じ人だった

 のです。


 でも、貧乏なので、贈り物を買うお金がありません。

 あるとき、彼は、はたと名案を思いつき、大きな箱を持ってバスに

 乗りました。

 
 大きな箱。何だと思いますか。


 それは翌日に卒業生に配るはずだった紅白饅頭50個が入ったダン

 ボール箱だったのです。

 
 なんと、彼はダンボール箱ごと学校から失敬してきてバスの運転手

 さんにお礼として渡したのです。

 
 「おっちゃん。3年間見逃してくれてありがとう。おっちゃんのお

  かげで卒業できた」

 そう言いながら、ダンボール箱ごと運転手さんに渡しました。

 
 運転手さんは、ニッコリと微笑んだそうです。

 

■その後、彼は私にこういいました。

 
 「運ちゃんは何もいえへんかったけど、あんな何回も書き直した

  汚い数字を見れば、誰でも分かる」

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 この話を聞いて、確かに褒められたことではありませんが、何か

 貧乏に萎縮することのない彼の逞しさと、前向きな明るさに感動

 したことを覚えています。

 

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【 明るければ貧乏でも生きられる 】
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 あの「佐賀のがばいばあちゃん(島田洋七著)徳間文庫」

 にこんな一節があります。

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 しかし、ばあちゃんの答えはこうだった。

 「何言うとるの。貧乏には二通りある。

  暗い貧乏と明るい貧乏。

  うちは明るい貧乏だからよか。

  それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでもよか。

  自信を持ちなさい。

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■私も大学生の時には、電車通学をしていました。

 定期の更新時期になると、いつもお金がなくて困っていたのを思

 い出します。


 定期が切れることが分かっているのですが、お金がないので、更

 新できません。

 仕方がないので、アルバイトのお金が入るまで切符を買って電車

 に乗る。

 
 ひどいときには、切符を買うとポケットにはたったの10円しか

 残らず、10円だけ持って、電車に乗ったこともあります。


 もちろん、帰りの電車賃はありません。


■でも、今思い出すと、まったく暗さはなかったように思います。

 
 今はお金が無いだけ、体さえ健康なら、働けばいつかお金は入って

 くる。

 友達に借りられなければ、駅員さんに頼み込んで、降ろしてもらっ

 たらいい。

 お金を持っていない者を、駅に閉じ込めてもどうしようもないのや

 から。

 
 いつも、そんなふうに考えていました。


■お金がないから、学校に行けない。俺はなんて不幸だ。

 なんてことを考えていたら、きっと卒業できなかったと思います。


 若いということはすばらしいですね。

 

■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

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 今日は「安全地帯」についてお話しします。


 昨年の末に私は胃カメラを飲みました。

 集団検診で十二指腸の弓部変形が発見されたからです。

 受診を予約して、病院の待合室で順番を待っている時のことでし

 た。

 何気なく、テレビを見ていた私は、急にその画面に釘付けになり

 ました。


■確かNHKだったと記憶しています。

 テレビでは、幻冬舎の創設当時の特集を放映していました。
 
 幻冬舎は、五木寛之「大河の一滴』等で有名になった新参の出版

 社です。

 創設者の見城社長は、大手出版社を退職して、新たに出版社を起

 こしたのです。


■何もない雑居ビルで、社員6人とラグビーボールを回しながら、

 結束を確認したこと。

 
 仕事をもらうために、見城社長は、社員を帰した後や休日に、一

 人でもくもくと作家さんに出稿依頼の手紙を書き続けたこと。


 最初の出版には、生死をかけて、莫大な広告費をつぎ込んだこと。


■いつしか、私の頭の中から、胃がんかも知れないという恐怖は消

 えていました。

 それぐらい、そのテレビは人を引き付ける魅力がありました。


■そのテレビを見ていて私はある出来事を思い出しました。

 それは私が、安定したサラーマンを辞めて、1年くらい経ったと

 きのことです。

 
 既に失業保険の給付は終わっていました。

 その年の5月に、食べるためにと学習塾を始めていましたが、ど

 田舎の実績のないところに生徒がきてくれるはずがありません。

 生徒は、僅か6人でした。 


■月の売り上げは、10万円。

 その中から、アルバイトの給料と電気代等の家賃を引くと、手元

 には、僅か5万円しか残りませんでした。


 そんな状況の中、ある夜、妻がぽつんと私に言いました。

 「あんた、このままやったら、一家で首つらなあかんで」

 別に私を責めるわけでもなく、ただ寂しそうな顔をしていました。

 
 サラリーマン時代には、「もうすぐ1千万やな」と二人で話して

 いたのが、その10分の1の収入しかなかったのです。

 
 子供は、高校生1年生を筆頭に、中学2年生、小学4年生の3人

 がいました。

 独身なら、何とも思わないのですが、家族に対する責任があり、

 相当こたえました。

 
■そんなことを思い出しながら、そのテレビから

 「やっぱり独立することは大変なんや。俺もがんばろう」

 と勇気をもらいました。

 
 実は、サラリーマン時代に会社の経営効率化を推進していました。

 収益が悪化し、このままでは社員も会社も共倒れになりかねない

 状況でした。

 
 そんな中、私は、省力化を担当しました。

 その計画を実行すると百名以上の人員が不要になります。

 「こんな後ろ向きの仕事いややな、辞めよかな」

 そう思ったことが一度だけありました。


■あるとき、労組出身の先輩管理職が私に言いました。

 「人を放り出すのは、面白いやろな」

 「誰も好きでやっているわけでない。誰かがやらなければならな

  い仕事や」

 私はそう言いたい気持ちを抑えました。

  
■やがて、労組との交渉も成立して、省力化は軌道に乗りました。

 そのときです。

 「私は、楽になった」

 と思ったのです。

 もう、苦労することはない。

 これから、悩むことはない。楽ができる。


■しかし、省力化された人たちは、関連会社などに配置転換されて、

 また一から新しい仕事をやらねばなりません。


 「自分だけ安全地帯にいていいのか」

 「一瞬でも、辞めたいと思ったことがあるのに、自分が楽になる

  と、そのことを無かったことにしていいのか」

 
 そんな疑問がわいてきました。

 
 そして、そのうちに

 「自分だけが安全地帯にいてはいけない」

 「楽になったからこそ、辞めるべきだ」

 そういう結論に達しました。
 
 そして、安全地帯から飛び出しました。

 

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【 何も起こらなければ安全地帯から飛び出せない  】
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■先の幻冬舎さんのホームページに幻冬社「戦闘宣言」というもの

 が掲載されています。

 私の考えと近いところがありますので、引用させていただきます。


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■私たちは文藝が衰退しているのではなく、文藝を編集する側が衰

 退しているのだと考えています。すなわち、大手寡占状態の中で

 出版社は作者と読者の両方の胸の鼓動や息遣いに耳を澄ますこと

 なく本を送り出しているのではないか?血を流し、葛藤し、渇い

 ている作者と読者のひとりひとりに対してあまりにもヌクヌクと

 生活しているのではないか?大手出版社というブランドに守られ

 て、ひりつくような痛みとははるか遠い所でいつも安全な本作り

 をしている自分の姿を思い浮かべる度に、吐き気をもよおしてい

 たことは事実でした。


 もう一度ゼロに戻したい。もう一度ひとつ間違えば地獄へいく薄

 氷を踏んでみたい。そんな思いのなかで出発しました。逆にいえ

 ば社員ひとりひとりの人生の問題として、今の自分に否定形の

 「NO」を言い続けるために設立されたのです。

 
 私たちには今、何もありません。しかし、そのことが気持ちがよ

 いことだと感じています。私たちを縛る出版界の常識もありませ

 ん。ですから、史上最大の作戦もゲリラ戦も自由に戦うことがで

 きます。


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■まさに、私の会社が出発したときと同じです。

 あることがきっかけで「安全地帯」から飛び出しました。

 何もありませんでした。

 電話器1台とパソコン1台。

 それに私一人。 

 たったそれだけでした。

 

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 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

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 今回は「お布施」についてお話しします。

 仏教で使われる言葉ですが、宗教に偏った話ではありません。

 人の生き方の話としてお読み下さい。
 

■私は、田舎の農家の七代目として生まれました。

 初代は江戸時代にこの家に生まれています。
 
 家紋は、あの大財閥三菱の創業者岩崎弥太郎さんと同じく「三つ

 柏」です。

 皆さんが柏の葉を目にするのは、5月の節句に柏餅をいただくと

 きくらいでしょうか。

 三つ柏の家紋は、その柏の葉が丁度ベンツのマークのように三つ、

 120度毎に配置されています。


 
■今の三菱さんのマークは、岩崎弥太郎さんの家紋である
 
 「三つ柏」を元に柏の葉をひし形に変えてできたものであると、
 
 誰かに聞いたことがあります。

 
■そんなことは、さておいて、七代続く家ですから、仏壇には仏様

 が13人いらっしゃいます。

 その中には、今から37年前の同じ年に亡くなった私の父と祖父

 もいます。


 お盆になると、お寺さんが一軒づつ各戸を廻ってお経を唱えられ

 ます。

 私たちも、その後ろでお経を唱えます。

 私はこれを13歳のころから37年間続けています。

 

■私がまだ若い頃、お寺さんが我が家に来られたときのことです。

 私は、かねがね疑問に思っていたことを尋ねました。

 「後ろで、お経を唱えているのですが、僕には全く意味が分かり

 ません。意味が分からず、お経を唱えて価値があるのでしょうか」

 
 お寺さんは、この生意気な子供に、ニッコリと笑って答えられま

 した。

 「お経の意味は分からなくてもいいのですよ。君は今、意味が分

  からずともお経の文字を追いかけて、それを声に出している」

 「そのときは、無心でお経の文字を追いかけているはずです。他

  のことを考えていては、到底、この速いお経を唱えることがで

  きないのですから」
 
 「たとえ、10分でも、無心の境地になる。これが大事なのです」


  今考えると、確かに、雑念を排除して無心で文字を追いかける、

 そんな時間も必要な気がします。

 

■ところで、そのお寺さんがよく唱えられるお経に「修証義」とい

 うものがあります。

 これは、道元禅師の有名な主書「正法眼蔵」九十五巻の中から、

 比較的平易なところを選び抜いてまとめられたものです。

 いわば、「正法眼蔵」のダイジェスト版です。

 生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり、生死の中に

 仏あれば生死なし、・・・

 から始まる5章から構成されたお経です。

 

■その「修証義」に「布施」について書かれているところがあり

 ます。

 仏教では、お寺さんがお参りになったときに「御布施」として、

 金銭をお渡しします。

  街中で托鉢をされているお坊さんにお渡しするのも「御布施」

 です。


■「修証義」には布施についてこう書かれています。

 衆生を利益すというは四枚の般若あり、一つには布施、二つに

 は愛語、三つには利行、四つには同事、これ則ち薩埵の行願な

 り、其の布施というは貪らざるなり、我物に非ざれども布施を

 障えざる道理あり、其物の軽きを嫌わず、その功の実なるべき

 なり、然あれば則ち一句一偈の法をも布施すべし、此生侘生の

 善種となる、一銭一草の財をも布施すべし、此施侘施の善根兆

 す、法も財なるべし、財も法なるべし、但彼が報謝を貪らず、

 自からが力を領つなり、舟を置き橋を渡すも布施の檀度なり、

 治生産業固より布施に非ざることなし。


 
■その意味は(「修証義に学ぶ」佐藤俊明著 現代教養文庫)を

 参考にすると、こうなります。

 人々のために利益を与えるということには四つの智慧がある。

 一は布施、二は愛語、三は利行、四は同事であり、これは菩薩

 の誓願であり、実践である。

 布施というのは、貪らないことことである。だから、自分のも

 のでなくとも布施をすることができる道理がある。

 布施は、施す物が軽少であってもよいが、心がこもってなくて

 はならない。

 従って、一句でも一偈でも、一銭でも一草でも布施すべきであり、

 その功徳は、現在及び将来においてよい果報を受ける善い原因と

 なり、善いおこないとなる。

 法を施してそれが財となることもあり、財を施してそれが法とな

 ってあらわれることもある。

 布施をしても返礼を期待せず、自分の力をわけ施すことが肝要で

 ある。

 舟を運行したり、橋を架けて交通の便をはかるのも布施であり、

 職業もまた布施となるのである。


 以上が、佐藤俊明さんによる布施の解説です。

 そして、布施には、法施と財施があるそうです。

 ものの道理に明るい人が、道理に暗い人を導いてやる、生きる道

 に悩む人に仏の道を伝え、光明を与えてやる、これが法施だそう

 です。 

 また、物を持っている人が人に物を施し与える、これが財施だそ

 うです。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

──────────────────────────────
【 布施とは、人々の役に立つために自分のできることをすること  】
──────────────────────────────
  

■私は、布施とはお寺さんにお渡しするものだと思っていました。

 どうやら違うようです。

 形式的にはお寺さんにお渡しすのですが、お寺さんを通じて、

 世の中の役にたててほしい。そう願ってお渡しするものでした。

 

■世のため、人のために尽くす。

 政治家も法施をする人です。

 そして私たちから預かった大事な税金もいわば財施の一つです。

 私心なく、「世のため、人のために尽くす」ことに使ってほし

 いものです。

 決して、自分たちのためにではなく。

 

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■皆さん、こんにちは。
 
 いつもお読みいただきありがとうございます。 

 今日は「お勉強と社会常識」についてお話しします。


■「出世コース」

 昔よく聞かれた言葉です。

 その代表的なコースが、東大法学部 → 中央省庁 → 天下り

 → 天下り (以下繰り返し)

 でした。

 (最近はご存知のようにこれが崩れつつありますが)


■そして、一部の親たちはまるで一流大学に入学さえすれば、出世

 コースに乗って将来が約束されているかのように、一流大学入学

 を我が子の最終目標としてきました。

 社会に出ておられる皆さんは、これが間違いであることはよくお

 分かりですが、一流大学を卒業することと、仕事ができることと

 は、全く関係がありません。

 仕事は、人と人との関係においてするものだからです。

 コミュニケーション能力、責任感、おもいやり等がない人物は、

 仕事を円滑に進めていくことができないのは明白です。

 
 また、世の中にはいわゆる「お勉強」だけができて、社会常識が

 ない人もたくさんいます。


■昔の話で恐縮ですが、私の学生時代にこんな大学教授がいました。

 その教授は、恐ろしく頭の切れる人でした。

 それが災いして講義は自己満足の世界で、誰もその講義の内容に

 ついていける者はいませんでした。

 学生が理解できているのか、いないのか、そんなことは全く教授

 の眼中にはなかったのです。

 ただ、あるのは自己陶酔の世界だけでした。


■教授は子どもの頃から、誰とも遊ばずにお勉強一筋に生きてきた

 人でした。

 そんな教授が、ゼミの飲み会に出席したときのことです。

 一次会が終わって、二次会に行くことになり、そのときは初めて

 教授も参加することになりました。

 二次会に選ばれたのは、ある院生のなじみのスナックでした。

 ドアを開けたとたん、きれいな店のお姉さんが目に入った教授の

 顔は、みるみる緩んでいきました。
 
 2次会が始まって10分くらいたったころ、店のお姉さんがその

 教授に言いました。

 「先生、私も一杯いただいていいかしら」

 「どうぞ、???」

 教授は、なんだか歯切れの悪い返事をしました。

 その後、お姉さんは、勢いづいて水割りをせっせと自分で作って

 飲んでいました。


■2時間くらい経って、幹事がママにお勘定の催促をしたところ

 「はあ~い。5万でえ~す」

 と嬉しそうにお姉さんが、メモ用紙に金額だけを書いた紙を幹事

 に渡しました。

 すると、それを横で見ていた教授が、メモ用紙を取り上げて

 「これでは、中身が分からんやないか。中身を教えなさい」
 
 と言い出したのです。

 お姉さんが仕方なく、シドロモドロに説明を始めました。
 
 「ええ~と、先生が水割り3杯で、・・・、私が水割り5杯・・」

 それを聞いたとたん、教授はお姉さんを諭すように言いました。

 
 
 「あなたの分は、あなたが飲んだのだから、あなたが払いなさい」

 「???」

 

 定年前の教授は、今までスナックで飲んだことがなかったのです。
  


■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

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【 世の中、本当は、お勉強よりも人間性 】
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■この教授のようなタイプは、教授になれて本当に良かったと思い

 ます。

 一般企業に就職していれば、うまく人間関係が築けずに潰れてい

 たかも分かりません。

 お勉強もそうですが、全てのことは優れた人間性という土台があ

 ってこそ、その価値が発揮されるものなのです。 


■子どもの教育で一番大切なこと。


 それは、優れた人間性を身に付けさせてあげることです。

 

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 今日は「教育とお金」についてお話しします。


■ 【 三尺下がって師の影を踏まず 】

 昔はこの言葉に代表されるように、先生は尊敬の対象でした。

 ところが最近は、先生がお金をもらって教育をしている職業の

 一つとして見られているように感じます。

 (もちろん生きていくためには、お金も必要ですから、ボランテ

  ィアでは成りたたず、職業にはなるのですが)


 私の幼稚園時代からの友人に小学校の先生が二人います。

 昨年同窓会で会ったときに、偶然にもこの二人が同じことを言

 っていたのが、とても印象的でした。  

 
 彼らは私にこう言いました。 

 「俺は、出世や金儲けに興味はないんや」

 「出世や金儲けがしたいんやったら、教師になってないわな」

 「ただ、子供が好きで、子供の力になりたいだけや」

 と。

■今でも、学校の先生になる人にはこのような考えの持ち主が多

 いと思います。


 ところが、最近は世間の親たちが自分たちの社会感覚で先生を

 見るようになってきました。

 
 【 税金で雇っているのだから、雇い主のいうことを聞けと 】


  
 ある私立の学校でこんなことがありました。

 担任の先生が一人の生徒が騒いでいるので注意しました。

 「静かにしなさい。勉強をしにきているんでしょう」

 するとその生徒が答えました。

 「先生、先生にはぼくらがお金を払っているんやで。勉強する

  かせえへんかは、ぼくの自由や」

 「お母さんもそう言うとったわ。先生にしかられたらそう言え
 
  と」

 この生徒は、まだ小学5年生でした。

 担任は、その生徒に言いました。

 「そうか。確かに勉強せえへんのは君の自由やな」

 「でも、他の人の勉強する邪魔をする権利は君にはないで」

 「外に出ていなさい」
 
  
 翌日、かんかんに怒った母親が学校にやってきました。

 そして、校長と昨日の担任の先生が呼び出されました。

 「お金を払っているのに外に立たせて勉強させないとはどうい

  うことですか。それに勉強するかしないかはうちの子の自由

  ですから、強制しないで下さい」

 「おたく、教え方が悪いんじゃないですか。私がいればいつも

  おとなしく勉強する子なんですよ」

 
 その言葉を聞いて、校長がすぐに笑顔で答えました。

 「そうですか、お母さん。ご希望がよく分かりました。では、

  お母さんのご希望どおりに、お子様を教育しましょう」

 「お母さんの保護がなければ生きていけない、そして社会に

  出たらまったく役に立たないように教育すればいいんです

  ね」

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 お金を払えば何を要求してもいいか? 】
────────────────────────────────

■教育は親のオーダーメイドでするものではありません。

 そして子どもを親のロボットにするものでもありません。


 その道のプロである先生が、その子どもに一番いいと思う教育を

 するものです。

■本田宗一郎さんが、著書のなかで

 「お金を一銭でももらえば、もらった者の負けだ」

 と言っておられます。

 これは、企業や商売では肝に命じなければならないことです。

 ただ、人の教育については、少し違うような気がします。

 人の教育は社会のために必ず必要なことであって、それを教育を

 志す先生にお願いした、ということでしょうか。

 
 もちろん、先生にその志のあることが前提です。

 

■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

 「うしのフットボール」

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 今日は「自分だけの人」についてお話しします。


■私は、今年の4月から青少年補導のお手伝いをしています。

 昨夜仲間とパトロール中での出来事です。

 夜の8時からパトロールを始めて1時間くらい経ったころに、

 ある神社の前に来ました。

 「秋祭りがくると、このあたりを皆で清掃するんや。今見る

 とそんなにゴミはないやろ」

 「そやけど、祭り前になると急にゴミが増えるんや」

 仲間の一人が、ポツリとこんなことを言い出しました。

 「何でなん?」

 私が不思議に思って質問すると

 「町の人間が家のゴミを持ってきて捨てるんや。清掃があるこ

  とを知っとるから、ついでに処分してくれるやろうと考える

  んやな」

 「へえ・・・。それで祭前になるとゴミが増えるんか。皆のこ

  とを考えてボランティアで清掃する人と、自分のことしか考

  えへん人と」

■「そうなんや。今までは神社の清掃は自ら進んでする仲間だけ

  でやってたから、毎年同じメンバーやったんや」

 「でも、あまりにもゴミの状況がひどい。それで去年は家のゴ

  ミを捨てている人を探し出して、急遽順番やからといって清

  掃当番をやってもらうことにした」

 

 「どうなったと思う?」

 突然の質問に私が答えずにいると、彼はすかさず言った。 

 「去年は特にゴミが多くて清掃が始まってしばらくすると、

 『何で人の捨てたゴミを始末せなあかんのや』と不平を言い出

  したんや」

 「そしてついに『ゴミを捨てなければいいのに。捨てるやつが

  悪い』と言い出した奴がおってな」

 「それを聞いたわしは待ってましたとばかりにこう言うたった

  んや」

 「そのとおりですね。皆さんが家のゴミを捨てなければ、清掃

  はしなくていいんですよ」

■昨日の話はここで終わりです。

 どうやら最後は作り話のようですが、実際にあってもおかしく

 ない話です。
 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 世の中のことは自分がしなければ必ず誰かがやっている 】
────────────────────────────────

■毎朝アイロンのかかったパリッとしたワイシャツがある。

 ご主人にすれば当たり前のことかも知れません。

 でも、奥様が倒れられた場合には、翌朝からアイロンのかかった

 ワイシャツはありません。

 日頃はあって当たり前のことも、必ず誰かのおかげなのです。

 水道の水が使えるのも、日夜供給に携わっている人たちがいるか

 らなのです。

 普段はそんなことを考える余裕はないと思いますが、たまには当

 たり前のありがたさに感謝してみるのもいいものです。

 「もし、これが無ければどうなる」

 と考えれば、ありがたさが分かります。

 

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 今日は「サラリーマンと経営者」についてお話しします。


■私は、今年の8月1日でサラリーマンを辞めて6年になります。

 そして自分で事業を始めて、5年半になります。

 空白の半年は、19年間勤めたご褒美として、また次の事業への

 充電期間として、弁当を持って毎日図書館通いをしていました。

 今、自分で会社を経営してみて分かったことが二つあります。

 一つは、事業を継続するために多くの人の支援をいただいている

 こと。

 特に、社員、アルバイトの皆さんに当社で働くことを選択して頂

 いたことです。

 誰にも働いてもらうことができなければ、事業そのものが成り立

 ちません。

 二つ目は、自分の給料のことを考えなくなったこと。

 事業を継続させ、社員、アルバイトの給料を出せるか否か。

 これが第一になります。業績がよければほっとして、事業継続の

 ための投資をして、残りを自分の取り分としていただく。

 
 
■サラリーマン時代にも、管理職をしていた頃は、何となくそのよ

 うな考えはありました。

 しかし、自分の給料を削っても、部下の給料を確保するというよ

 うなことまでは考えませんでした。

 自分の会社でもなく、役員でもないのですから、当たり前といえ

 ば当たり前ですが。


■世の中には、二通りの人たちがいると考えます。

 自分で事業を興したいと考える人たちと、役務や能力を提供し

 て、その対価を得たいという人たちです。

 これは、どちらが偉いとか、どちらが良いとかの問題ではありま

 せん。

 その人たちの性格や環境など選択の問題です。

 よく、アメリカでは、「能力がある者は事業を興し、能力のない

 者が、人に雇われる」といわれ、まるで事業を興さない者は能力

 が無いように言われますが、そんなことは決してありません。

 あくまでも選択の問題です。

 事業を興しても、その事業のために働いてくれる人たちがいなけ

 れば、事業そのものが成りたたないのですから。


■ただ、最初は雇われることを選択した人たちの中でも、社員仲間

 全体のことを考える人は、やがてその企業の跡継経営者になって

 いきます。

 よく言われることですが、サラリーマンには3種類あります。

 1.定額の給料をいいことに、給料に見合う仕事もしない者

 2.責任として、給料分の仕事はしようと努力する者

 3.給料に関係なく、会社や仲間や自分のために給料以上の仕事

   をする者

 もちろん、跡継経営者になるのは、3番目の者です。

 理由は、私が経営者になって分かったことと同じです。

 すなわち、経営者には、給料に関係なく事業と社員と社会のため

 に尽くすことのできる資質が必要だからです。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 もし、経営者になりたいのであれば、給料を意識するな 】
────────────────────────────────

■仕事をして、社会に貢献し、それに見合う給料をもらい、家族の

 生活を確保するのは、立派なことです。

 また、ボランティアで社会に貢献するのも立派なことです。

 そして、スポーツの一流選手となって、皆に夢を与えるのも立派

 なことです。

 私は、経営者にしか価値がないといっているのではありません。

 もし、やがて経営者になりたいと思っている人がいるのなら、

 参考にして下さい。
 

■故人である元経団連会長の土光敏夫さんは、社内での役員登用に

 際してその候補者を呼んでいつもこう言われたそうです。

 「家庭を犠牲にするくらいの覚悟が君にはあるか。奥さんとよく

  相談してほしい」


 今では大赤字でも、高額な役員報酬をとっている大企業が多くな

 っていますが、少なくとも中小企業の経営者には当てはまると思

 います。

 

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今回は「人に頭を下げること」についてお話しします。


■先の日曜日、親戚宅へ伯父の法要に出かけていました。

 そこで、聞いた話を皆さんにもお教えします。

 法要には、85歳になる伯父(亡くなった伯父の弟)が来ていま

 した。

 伯父は、戦争から帰ってきて、商売をはじめ一代でかなりの財を

 築いた人物です。

 その伯父が、お寺の住職さんが帰られて、親戚内で会食が始まり、

 少しお酒がまわってきた頃、突然昔話を始めました。

 その内容は、こうです。

 ----------------------------------------------------------

 
■わしの家は、十人兄弟だったので、成人するとすぐに婿養子に出

 された。

 養子先の村に行くと、その日のうちに皆の集まる場所に連れてい

 かれて、顔見せをさせられた。

 これで村人には、わしが婿養子にきたことは分かった。

 しかし、わしには全く村人の顔が分からない。

 かといって、道で出会ったときに、もし村人なら挨拶をしないわ

 けにはいかない。

 村人に出会っても挨拶をしないとなると、何と礼儀知らずな生意

 気なやつだと思われてしまうからな。


■それで、わしは、道で人に合う度に頭をペコリと下げることにし

 た。

 合う人、合う人皆にペコリと頭を下げる。

 その人が村人がどうかは、わしには分からんのやから、そうする

 しかなかった。

 村人でない人なら、わしのことを、変なやつがおるなあと思った

 やろう。

 そうしているうちに、相手も頭を下げてくれるようになった。

 そして、いつの間にか話ができるようになったんや。

 金もかからんし、これがわしにできる唯一のことやったんや。


■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 頭を下げてもらって、いやな気分になる人はいない 】
────────────────────────────────

■人に頭を下げてもらっていやな気分になる人はまずいないと思い

 ます。(おべんちゃらが見え見えの場合は別ですが)

 例え、営業上だと分かっていても、いやな気分にはなりません。

 むしろ、素直に頭を下げることのできる人のほうが、さわやかな

 印象を受けることさえあります。


■ここで、私が若い頃に苦手な人に対してやっていた一つのことを

 お教えします。

 誰しも、この人は相性が合いそうになく、苦手だなと思うことが

 あります。

 そんなときは、間違いなく相手もそう思っています。

 そして、その相手が自分に対して、生意気だとか、妬みの感情を

 持っている場合には、なかなかその感情を消すことができません。


■こんな場合、どうするか。

 自分からその相手に積極的に近づいていき、

 ペコリと頭を下げて

 「頼りにしていますので、よろしくお願いします」

 と、心から言ってみるのです。

 そうすると、次の瞬間から相手の態度が変ります。

 生意気だとか、妬みの感情が起こるのは、本人の意識になくても

 心の底に

 「相手が自分より優れている」

 という認識があるからです。

 ペコリと頭を下げることによって、それが消滅します。


■人に頭を下げるのに、お金も体力もいりません。

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 


 ぜひ、やってみてください。

 

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 今日は「多くの人の前でうまく話をするコツ」についてお話し

 します。

■生活をしているといろいろと心配ごとがやってきます。

 ひょんなことから、自治会やPTAの役員を引き受ける結果になり、
 
 今まで人前で話をする機会がなかった人が、急に大勢の人の前で

 話をしなければならなくなってしまった場合もそうだと思います。

 以前、私は経験したことのないことは怖いと書きました。

 人前で話すことも、慣れてしまえば誰にでもできることなのです

 が、経験のない人には恐怖です。
 
■今まで人前で話などしたことがない。

 今までずっとそういう場面から逃げることができた。

 なぜ、今になって。

 うまくできなければどうしよう。

 人前で恥をかくことになる。 

 そう考え始めると、その人の頭の中は不安と恐怖で一杯になりま

 す。

 
■私は、幸運にも小さい頃から学級委員をやらされる機会が多く人

 前で話すことに対しては慣れているつもりです。

 しかし、何百人も前にして、しかも来賓に市長さんや県議会議員

 さんがいらっしゃるような場では、やはり緊張します。

 今日は、そんな場で私がやっている「大勢の人の前でうまく話を

 するコツ」をお教えします。   

■それは、

 話の初めに皆に向かって

 「私は皆さんのように上手に話すことはできません」

 と宣言してしまうこと、

 そして、普段使っている言葉で話すこと、

 次に、自分の体験や経験をもとに話すこと、

 最後に、カンニングペーパーは堂々と前に置いておくこと、

 です。

■うまく話せなくても許される状況を先に作ってしまうのです。

 そうすれば、うそのように不安と緊張がなくなります。

 もちろん、用意したカンニングペーパーを見ることもないでしょ

 う。

 だって、先に話がうまくないと宣言しているのですから。


■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 弱点を先に宣言することで不安が消える 】
────────────────────────────────

■「うまくやろう、人によく見てもらいたい」と

 考えると、できなかった場合を想像して、不安になります。

 今までに人前で話をしたことがない人が、少しばかり練習したか

 らといって、急に人前でうまく話せるはずがないのです。

 だから、その現実を受け入れて、皆に宣言してしまう。

 そうすると、不安が解消され、自分の言葉で話をすることができ

 るようになります。

 これは一例ですが、弱点を先に宣言することで、不安が解消する

 場面は他にもあると思います。

 ぜひ、活用してみて下さい。

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 今回は「何故、人の人生に差があるのか」についてお話しします。

 以前に、偉いお坊さんから

 「人生は自分を磨く修行の場である」

 「だから辛いことにも耐えなさい」

 と言われたことがあります。

 私は、そうかも知れないが、

 では、何故、幸せに暮らせる人と、

 いつも不幸が続く人と、

 人生に大きな差があるのか?

 修行なら、皆同じような人生でいいのではないか?

 ずっと疑問に思っていました。

■その答えが、数年前に見つかりました。

 宗教的な話ではありません。あくまでも考え方の話です。

 「人生は、生まれてくる前に自分が設計したとおりに進んでいる」

 「だから、何も心配することはない」

 という考え方です。

■【人は何のために生まれてくるのか】

 大きな課題ですが、この答えが

 【心を磨き、生まれてきた時よりも、成長すること】

 であるとすれば、皆さんも素直に受け入れることができると思い

 ます。

■では、仮に生まれてくる前に自分で人生を設計したとして、どう

 して辛いことが多く起こるように人生を設計する人がいるのでし

 ょうか?

 私のような凡人は、

 「苦労がなく楽しい人生がいいに決まっている」

 と考えます。

 こう考えるので、最初に書いたように何故人によって人生に幸、

 不幸の差があるのかという疑問が出てくるのです。
 
  
 【辛いことが多く起こる人生】

 
 これには大きな意味があったのです。


■実は人間的にかなり成長した人ほど、もっと自分を高めるために

 【辛いことが多く起こる人生を自ら設計して生まれてくる】

 というのです。

 なるほど、それなら人によって人生に大きな差があっても、納得

 ができます。

 そして、辛いことが多く起こる人ほど、心を成長させたいという

 志の高い人だということになります。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 人生の出来事は自分が設計したとおりにやってくる 】
────────────────────────────────

■私が以前読んだ

 飯田史彦著「生きがいの本質(PHP研究所)」にこんなことが書

 かれています。

 -------------------------------------------------------
 人間は窮地に立たされると、必死の思いでそこから抜け出そうと

 する。その時、人間の心は、必死になればなるだけ柔軟性を失っ

 ていく。健康であれば、違った視点で物事を眺める余裕があるの

 に、病気になると、途端にそれができなくなる。

 (中略)

 患者さんの抱えている問題の受け止め方に変化が起これば、これ

 まで問題にとらわれてきた「しばり」とでも言えるものが外れる。

 (中略)
 
 ぼくはいつも患者さんからのある言葉を待っている。

 それが「あっそうか」と「まあ、いいか」である。

 (中略)

 今、自分が病気であることさえも、人生全体の「学び」の計画の

 中で見ると、実は「順調」なのではないか・・・自分は、決して

 被害者ではなく、損をしているわけでもなく、失敗や挫折をして

 いるわけでもなく、かわいそうな状況でもなく、実は病気を通じ

 て、むしろ病気になったからこそ得ることのできる、さまざまな

 価値のあるものを学んでいるのではないか・・・

 --------------------------------------------------------- 

■上のお話によると、患者さんがこう気付いたときに

 「あっそうか」と「まあ、いいか」

 という言葉がでるそうです。

 皆さんも辛いことが起こったとき、

 「自分が決めたことだ。何も心配することはない」

 そう考えると、少しは気持ちが楽になるのではないでしょうか。

 

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 今日は「他人を批判すること」についてお話しします。

 皆さんの中で、「私は他人を批判したことがない」と胸をはれ

 る方はそう多くないと思います。

 私も、他人を批判してしまうことがよくあります。

 そしてそのときには、いつも悪い後味が残ってしまいます。
 

■サラリーマンなら、こんな場面に遭遇したことがあると思いま

 す。

 
 ある会社の社員食堂での出来事です。
 
 社員のA君が昼休みに仲間数人を前にして一人まくしたててい

 ました。

 同期のB君のことです。

 「Bは、実力もないくせに、課長におべんちゃらばかりして、

  昇進できたんや。あれで出世できるんやったら、俺はもうと

  っくに係長になっとるわ。皆そう思わへんか」

 うわさのB君は、先日主任に昇格したばかりでした。


■それからしばらくB君の批判が続いた後、A君は

 「俺、昼からの会議の準備があるから先に戻るわ」

 といって、その場を離れました。

 
 その後の社員食堂での会話は、想像どおりです。
 
 「あいつも課長におべんちゃら使ってるくせに、よっぽど同じ

  おべんちゃらで負けたのが悔しかったんやなあ。同期の出世

  を喜ぶ度量のない者は、やっぱり出世でけへんなあ」

 と・・・・。


■私にも、経験がありますが、他人の批判をしてしまうのは、決

 まって自分に自信がないときです。

 自分に自信があるときには、他人の批判をする必要がありませ

 ん。


 なぜなら、他人の批判をするという行動は、自分を認めてほし

 いことの反動だからです。
 

■他人を批判することによって、自分の人格が外に現れてきます。

 つまり、他人を批判することによって、唯一明らかになるのは、

 先ほどの社食での出来事のように、批判している相手ではなく、

 自分自身なのです。

 自分は、「批判好き」だということを世間に暴露しているのと

 同じなのです。

 
 おまけに、批判されたことによって、その相手が変ることなど、

 ほとんどありません。

 自分が批判された時のことを考えれば、明らかだと思いません

 か?

 表面的にはともかく、反発するか、萎縮するかのどちらかです。


----------------------------------------------------------------

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 他人を批判して明らかになるのは自分自身である 】
────────────────────────────────

■では、逆に自分が批判されたときには、どうすればいいのでし

 ょうか?

 リチャード・カールソン著「小さいことにくよくよするな!
(サンマーク出版)」にこう書いてあります。

 -------------------------------------------------------
 
  
 自分に向けられた批判に同意する、これは信じられないほど効

 果的な練習方法だ。


 私がはじめて批判に同意したのは、妻に「あなたって、しゃべ

 りすぎることがあるわね」と言われたときだった。
 
 そのときはまず、グサリときたのを覚えている。

 「そうだね。たしかにしゃべりすぎることがある」と答えたと

 き、人生を変える何かに気づいたのだ。

 あっさり同意したので、彼女も気が楽になったらしく、すぐに

 こう言った。

 「でも、あなたって本当に話がしやすい人よね」と。

 --------------------------------------------------------
 
■批判に対して、怒りで対応しても、相手はむきになって、批判

 を繰り返すでしょう。

 それよりも、

 「そのとおりだね」と、

 批判にあっさりと同意する。

 いいことがあるかもしれません。

 

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 今回は「本当に判断に困ったとき」についてお話しします。

 よく、「社長業は孤独な仕事だ」と言われます。 
 
 会社の全責任を背負って、最終判断は一人でやらねばならないからで

 す。

 
 何も社長でなくても、組織のリーダーには、多かれ少なかれ、孤独な

 面はあります。

 学生さんでも、クラブのキャプテンをされているような人なら、この

 感覚は分かると思います。


■私も、高校時代にアメリカンフットボールのキャプテンをしていたと

 きには、孤独を感じていました。

 別にチームメイトが私を意識的に避けていたわけではありませんが、

 当時の私は

 「如何にチームメイトに練習を熱心にやらせるか」

 ということで頭が一杯でした。

 ところが、チームメイトは、そこまで考えずにクラブを楽しんでいま

 した。

 必然的に孤独になっていったような気がします。 
 

■話を元に戻します。

 先ほどの孤独な社長さんですが、こんなところを見たことがあります。

 顔だけは知っている一流会社の社長さんが、一人寂しく高架下の居酒

 屋さんで飲んでいたのです。

 仕事中は、取巻き連中を従えて、さっそうとしている社長さんです。

 「やっぱり、社長業は孤独や」

 そのとき、そう思った記憶があります。


■では、孤独な社長さんは、物事を最終判断するときに、どうしている

 のでしょうか。

 一人で決めねばならない。このプレッシャーとどう戦っているのでし

 ょうか。
 

 実は、占いに頼っている社長さんが多い。

 
 どうしようか、一人で悩みに悩む。


 しかし、結論が出ない。


 誰かに背中を押して欲しくて、つい怪しげな、占い師の門をたたく。

 
 本当かどうか分かりませんが、こんな噂を聞いたことがあります。


■「生きがいの本質:飯田史彦著(PHP研究所)」の中に面白いこと

 が書かれているのを見つけましたので、ご紹介します。

 
 それは、「困った時の最後の手段」という段落です。

 そこにはこんなことが書かれています。

 --------------------------------------------------------------

 飯田先生は、「本当に困っている人」からよく相談を受けます。

 しかし、自分のような若輩に相談して解決する程度の問題であれば、

 事態に一番詳しい当人が、とっくに解決方法を知っておられるはずだ

 と先生は考えるそうです。

 そして、相談にこられた人に

 「それじゃ、困った時の最後の手段に頼りましょうか」といって、ペ

 ンを手に取ります。

 例えば、結婚したくてもできない状況にある男女が対象だとします。

 
 
 先生は、こういいます。

 「ペンが右に倒れたら、あなた方はどんな困難があっても結婚する」

 「ペンが左に倒れたら、スッパリ結婚はあきらめて、今日から一切会

  わない」


 「いいですか。たった1回しかやりませんよ」

 
 すると、相談にきていたカップルは慌てて質問します。

 「あ、あのう・・・ペンで決めるんですか」

 「いや、ペンに聞いて決めるんじゃなくて、ペンを通して神様のご意

  志を聞くのです」


 「え、そんな大切なことを、ペンなんかで決めてしまうのは・・・」


 「だからペンではなく神様ご本人にお伺いするんですよ」

 「それが嫌なら、あなたたちは、まだ自分で考える余地をお持ちです。

  そこまで本当に困っていないということです」

 
 
 そして、先生は

 「こっちに倒れてしまったら?」「あっちに倒れてしまったら?」

  と何度か聞くのです。

 そうすると、必ずどちらかで安堵の表情が浮かび、反対の方向で恐怖

 の表情が浮かぶので、安堵の表情が浮かんだ方へペンを倒します。


 「え、こっちになってしまいましたか。仕方ない。神様がそうおっし
  
  ゃるならがんばってみます」


 相談に来たカップルは、喜色満面で帰って行くそうです。


 --------------------------------------------------------------

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

──────────────────────────────
【 困った時の最後の手段はペン倒し 】
──────────────────────────────
  

■先の社長さんの占い師と全く同じだと思われませんか。

 社長さんまでされる方は、自分なりに考えを持っておられる。

 しかし、一人で決断しなければならないことに耐えられない。

 そこで、占いの力を借りて、背中を押してもらう。

 結局こういうことだと思います。

 

■飯田さんは、この著書のなかで


 【 もっとも素晴らしい人とは 】

 
 「神も仏も存在しない。世の中は物質のみでできており、人間、死ん

  だら灰になってすべておしまいだ」

  という観念を持ちながら、

  それでもつねに前向きに生きており、

  いつも正直な言動を心がけ、

  全ての人を愛しながら生きている人

  だと書いておられます。


  
  なぜなら、そのような人間観を持つということは、つらい時に自分

  を支えてくれる「心の杖」や「心の先生」を持たないままで生きる

  人生を選ぶことであり、それでも自分自身を叱咤激励し、誰も見て

  いなくても正しい言動をとるという、大変難しくてレベルの高い人

  生に挑戦することだから

  だそうです。


■とても、我々凡人には、そんな生き方はできそうにありません。

 
  やはり、心の奥底では決めていても、占いやペンに助けてもらうこ

 とになるでしょう。

 
  皆さんも、判断に困ったとき、誰かに頼んで、飯田先生のようにペ

 ン倒しをされればいいと思います。

  但し、ペンを倒す前に必ず

 「こっちに倒れたら?」「あっちに倒れたら?」

 と質問をしてもらうことを前提に・・・。

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 今日は「今、その瞬間を意識して生きること」についてお話し

 します。

 皆さんは、自分の体は一秒前でも一秒後でも、決して今の体と

 同じではないという事実を意識されたことがありますか?


 人間の体は一秒たりとも休むことなく、新陳代謝を繰り返して

 います。

 古い細胞が消えて、新しい細胞に代わっていく。

 学説によると、人間の体の細胞はおよそ七年で完全に入れ替わ

 ってしまうそうです。

 言い換えれば七年たつと、前の体は全て消えているということ

 です。


 それでも、自分は相変わらず存在している。


 なんだか、不思議な気持ちになりませんか。

 
■自分の体は、一刻として同じものではないのです。

 体には、今その瞬間しかありません。

 あなたの体の細胞はその瞬間を確実に生きて、次の瞬間にバトンタ

 ッチしているのです。
 

■私は、なぜこんな変な話題を持ち出したのでしょうか。


 それは、人間が生きていく上でもこの瞬間、瞬間に意識を向けるこ

 とがとても大切だからです。


 とはいうものの、私たち凡人は、過去の失敗や未来の心配など、考

 えなくてもよいことを考えて、失望したり、欲求不満になったり、

 不安になったりを繰り返しています。


 そして、ときにはノイローゼになることもあります。


■でも、よく考えれば、過去のことは変えることができません。

 体でいえば、既に細胞は消滅しています。

 そして未来は、今の瞬間がなくしては、ありえません。

 体でいえば、今細胞が作られていなければ、未来の体はありません。

 ですから、

 私たちにできるただ一つのことは、今この瞬間を大切に生きること、

 今この瞬間だけがコントロールできることを早く理解することです。

 
■今の瞬間なくして、未来はないのです。

 なぜなら、今の自分を創っているのは、自分の過去だからです。

 そして、直接コントロールできない未来を心配しても意味がないの

 です。

----------------------------------------------------------------

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 今この瞬間を意識して生きれば不安はなくなる 】
────────────────────────────────

■今の瞬間を意識すると、不安が解消できるヒントとして。

 出所は忘れましたが、こんな言葉があります。

 「あなたは、今生きているのだから、死を恐れる必要はない。

  もし、あなたが死んだとしても、もう死んでしまったのだから

  死を恐れる意味がない」

 
■大リーグで活躍するあのイチローさんが、今の瞬間を意識する大切

 さについて、こういっています。

 「今この瞬間にできる小さなことを、積み重ねることによってのみ、

 とてつもなく大きなことができる」


 まさに未来は今、創られるということでしょうか。

■そして、ジョン・レノンはこういいます。

 「人生は、ぼくらが他の計画を練っている間に過ぎていくんだ」

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■今日は「自分の好きな仕事、やりたい仕事が分からないとき」

 についてお話しします。

 6月に入り、新入社員さんたちも、そろそろ落ち着いてきたこ

 ろだと思います。

 ところで、皆さんは、学生時代を終えていよいよ社会人になる

 ときに、自分の好きな仕事はこれだ、天職はこれしかないと、
 
 既に決めておられたのでしょうか?
 
■正直なところ、20歳前後で、自分の好きな仕事、やりたい仕

 事をしっかりと決めておられた方は、そんなに多くはないと思
 
 います。

 私は、いまだに自分の天職がよく分かりません。

■昨年の4月に、こんなことがありました。

 私の会社でアルバイトをしていただいている大学生4年生の学

 生さんが、毎日のように就職活動で企業訪問を繰り返していま

 した。もう、50社近くを訪問しているとのことでしたので、

 ちょっと気になって彼に聞いてみました。

 「君は、やりたい仕事があって就職活動をしているの?」

 私が質問をすると

 「いえ、別にやりたいことが決まっているわけではありません。

 それで、仕方なく自分に合ったいい会社を探しているだけです」

 「自分に合ったいい会社ってどんな会社?」

 私が意地悪な質問すると

 「雰囲気が良くて、給料がいい会社です」

 こんな返事が返ってきました。

 「会社の雰囲気なんて、部署によっても違うし、1日会社訪問

 しただけでは絶対分からないよ」

 私がこう言うと

 「でも、他に会社を選ぶ判断材料がないですから」

 と少し困った様子でした。
 
 

■こんな感じで就職をする人がほとんどだと思います。

 かくいう意地悪な質問をした私も、二十数年前にはこんな感覚

 で就職したと思います。

 早くから自分のやりたいことを決めている人がうらやましいな

 あと。

■それでは、やりたいことを決められずに就職をしてしまった後

 はどうすればいいのでしょうか。

 以前にも、書きましたが、

 当面与えられた仕事に、

 「どうせ、好きで選んだ仕事とは違う」などと逃げ道を作らず

 に、一生懸命に取り組んでみることです。

 そうすれば、やがて仕事が好きになるかも分かりません。

 好きになれば、実力も付いてきます。 

 また、別に好きな仕事が見つかるかも分かりません。

 好きな仕事が見つかれば、方向転換すればいいのです。

■しかし、与えられた仕事に、逃げ道を見つけて、中途半端に

 取り組んでいては、決して仕事が好きになったり、好きな仕

 事が見つかったりすることはありません。

 真剣に物事に取り組んだ者にしか、ご褒美はないからです。

 これは、真理です。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 真剣に仕事に打ち込んだ者にしか好きな仕事は見つからない 】
────────────────────────────────

■稲盛和夫さんが著書「生き方(サンマーク出版)」の中でこう書

 かれています。

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 では、自分の仕事がどうしても好きになれないという人はどう

 すればよいか。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみ

 ることです。そうすることによって、苦しみの中から喜びがにじ

 み出るように生まれてくるものです。

 「好き」と「打ち込む」はコインの表と裏のようなもので、その

 因果関係は循環しています。好きだから打ち込めるし、打ち込む

 うちに好きになってくるものです。

 ですから、最初は多少無理をしてでもいいから、まず「自分はす

 ばらしい仕事をしているのだ」「なんと恵まれた職業についてい

 るんだろう」と心の中で繰り返し自分にいい聞かせてみる。する

 と、仕事に対する見方もおのずと変ってくるものです。

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 皆さん、仕事が面白いって最高ですよね。

 誰も仕事から逃げるわけにはいかないのですから、早く、仕事の

 中に面白みを見つけたいものです。 

 

 ■フォレスト出版さんの本の投稿サイトSpotWriteに

 私の体験をモデルにして「人生いかに生きるべきか」を

 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

 お読みいただければ幸いです。

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■先日は、弁理士の試験で大阪まで出かけていました。

 毎年、試験が終わると、ある居酒屋に立ち寄って帰ります。

 そこの居酒屋さんに、ちょっと気になる男前の板前さんがいました。

 向こうも私のことが気になったらしく話しかけてきました。

 「今日は、何かあったんですか。とても気分良く飲まれていますね」

 「いや、ちょっと、やりたいことがあって。そのための試験を受け
  
  てきたんです」
 
 私がそう答えると、その板前さんが、急に、私の耳元でささやきまし

 た。

 「実は、私も、やりたいことがあるんです。35才までには独立して

  自分のお店を持ちたいんです」

 「そう」

 「で、板さんは、今いくつですか」
 
 そう尋ねると

 「はい、今30です」

 と、返事が返ってきました。

 「50の私が、できるか、できないか分からんことに挑戦している

  んやから、あなたの若さなら、何回失敗しても、大丈夫や」

 そう励ましておきました。


■さて、今日は「誰にでも時間は同じ長さか?」についてお話しします。

 もう、10年も前の話で恐縮です。 
 

 私は、鉄道会社に在籍していたときに、こんな経験をしたことがあり

 ます。

 会社は収益が悪化して、清掃業務の外注も十分にできない。

 ホームには、お客様が捨てたタバコが散乱していました。

 そして、当時の担当取締役から

 「こんな汚いホームでは、お客様に気持ちよく利用していただけない。

  どうにかしろ」

 と指示が出ていました。

 
■そんな局面で、私は部下を集めてお願いをしました。

 これ以上ホーム清掃に外注するお金はない。

 ホームを移動するときに、ついでにタバコを1日一本拾ってほしい。

 400人いれば、一日に400本のタバコがホームから無くなる。

 一年で146000本ものタバコがホームから消えて無くなる。

 146000本のタバコを具体的に想像してほしい。

 吸殻は5センチとしても7300メートルにもなる。

 タバコ一本を拾って吸殻入れに捨てるのに、どれだけ時間がかかるか。

 30秒もかからない。 

 皆には、一日30秒の努力をしてほしい。

 と。


■結果、

 「わかった。あんたがそこまでいうならやろう」

 皆は協力してくれるようになりました。
 


■時間は、皆に平等に1日24時間与えられています。

 これは、紛れもない事実です。

 でも、本当に24時間は誰にでも同じ長さでしょうか。


 これは、違うと思います。

 人によって、時間の長さは違うはずです。

 30秒のタバコを拾う動作を続ければ、一人で一年に365本のタバ

 コをホームから消すことができます。

 しかし、何もせずにただホームを移動しているだけなら、30秒はあ

 っという間に過ぎ去り、ただ時間が流れただけになります。


■誰にでも、ちょっとした隙間時間はあります。

 この隙間時間の使い方で、人生が大きく変わってきます。 


 実は、人生においていろんなことができる人は、この隙間時間を有効

 に使っているのです。

 たいていの人が捨ててしまう、ちょっとした余り時間をうまく使う。

 彼らは、これを意識せずにできる人たちなのです。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

──────────────────────────────
【 1日24時間は、皆に与えられているが、同じ長さではない 】
──────────────────────────────
  

■皆さんの周りにもいませんか。

 あいつ、いつの間に仕事を片付けたんやろう。

 あいつ、いつの間にあんなスキルを身につけたんやろう。

 と思うような人物が。

 
 きっと、その人は

  「もう、出かけるまでに5分しかない。今からじゃ何もできないな」

 とは考えずに

 「まだ、出かけるまでに5分ある。本が10ページ読める」

 と考える人です。


■ただ、四六時中そんなことをやっているわけにはいきません。

 1日の内には、何もせずにリラックスする時間も絶対に必要です。 

 が、1日中何もしないことを、「リラックスしている」

 とはいいません。

 

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 示した物語 「うしのフットボール」を投稿しています。

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 最後までお読みいただきありがとうございました。

  

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■今日は「一銭にもならないこと」についてお話しします。

 今の世の中、「楽して100億儲ける」とか「自分を高く売る

 方法」などお金に関する情報が氾濫しています。

 そこで、今回は「お金になることしか価値がないのか」

 についてのお話です。
 
■私は、サラリーマンを辞めてもうすぐ6年になります。

 サラリーマンを辞めると、不思議なことに、地域のいろんな活

 動の話がまるで吸い寄せられるようにやってきます。

 本当にどんどんとやってきます。

 「あいつは、サラリーマンではないから、昼間も自由に時間が

  取れるだろう」

 という単純な発想かも知れません。

■最初にやってきたのが、中学校のPTAの副会長。

 それが終わると、大学の30周年記念事業の実行委員長。

 それが終わると、小学校のPTAの会長。

 それが終わると、小学校の50周年記念事業の実行委員長。

 それが終わると、・・・

■これらは、全て「一銭のお金にもなりません」

 よくもまあ、そんなに沢山のことを引き受けるなあ。よっぽど

 目立ちたいのか、お人よしか、馬鹿やな。

 という声が聞こえてきそうです。

■これらのことを、引き受けたのは、全て同じ理由からです。

 頼みにこられた方は、誰もが同じことをおっしゃいます。

 「お金にならないのに、責任のある仕事は誰もやってくれませ

  ん」

 「毎晩、いろんな人に頼みにいっていますが、全て断られます。

  もう、あなたで20人目にはなります」

■ここで、引き受けないと、この人たちは、これからも毎晩、い

 ろんな人のお宅を訪問し続けることになる。

 そう思って引き受けてしまうのです。

 当然、家族は大反対です。

■でも、いいことはあります。

 いろんな人と、知り合いになれて、それに利害関係がない。

 お金をもらっているという後ろめたさがない。

 何といっても、人に喜んでもらえる。 

 そして、最後には人に喜んでもらえることで、

 

 

 自分が満足します。

 

■さて、

□□□  今日の「ちょっと一言」です。  □□□

────────────────────────────────
【 あなたは、一銭にもならないことをどれだけやっていますか 】
────────────────────────────────

■小林正観さんが、その著書「宇宙を貫く幸せの法則:至知出版社」

 のなかで、こう書かれています。

 「一銭にもならないことをどれだけできるか、するか」が自分で

 自分を好きになるポイント。馬鹿なこと、一銭にもならないこと

 誰からも評価されないことを一生懸命やってみてください。そう

 いう馬鹿なことをしている自分が、いつの間にかとてもかわいら

 しく、いとおしく思えてきます。

■皆さんも、「一銭にもならないこと」を進んでやってみてくださ

 い。

 やり終えた後の「ある種のすがすがしさ」はたまりませんよ。

 

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